メルマガ181

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森の駅発メルマガ No.181
2024 September 長月 和名は旧暦の季節感。9月の長月は夜長月の略。紅葉月とも言います。

目 次 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

・日本の災害カレンダー「9月1日は防災の日」
・関連書籍「益田文和氏が提唱する野生動物+SDGs」
・山小屋通信「樹々に囲まれた美術館」大森 明
・青ヒバの会「住まいのカタチ8章 - 第7-2 章」市川 皓一
・美術コラム「広重師弟の『赤坂桐畑 』」戸田 吉彦

日本の災害カレンダー 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
関東大震災震、室戸台風、伊勢湾台風を体験した9月。1日は全国「防災の日」です。

関東大震災 1923/9/1。マグニチュード (M) 7.9。震源:神奈川県西部・相模湾。昼食時で火災も発生。
死亡・行方不明10万名以上、全壊家屋10万棟以上。首都広域を襲った近代日本最大の震災被害。この日を
「防災の日」に制定し(1960)、「防災訓練」(避難・消火訓練)を全国の自治体・企業・学校で行う。

伊勢湾台風 1959/9/26.。夕刻 和歌山県潮岬上陸後 本州縦断。名古屋市最大瞬間風速 45.7m/秒 (s) 。
伊勢湾は高潮浸水、深夜の台風で犠牲は大きく、全国の死亡・行方不明5千名以上、住家全壊4万838棟、
被災家屋50万棟以上(戦後最悪の台風被害)。これを機に「災害対策基本法」制定(1961)。

室戸台風(1934/9/21戦前最大の台風)と規模も進路も良く似た、第2室戸台風(1961/9/16)。1934年
の死亡・行方不明3千名以上。’61年は室戸岬上陸時中心気圧が当時最も低い 925ヘクトパスカル(hPa)で
浸水・損壊家屋は44万棟以上だったが、早期対策で死亡・行方不明は202名に減少した。

山梨・足和田土石流災害 1966/9/25。2つの台風が同時上陸(24号、26号)。土砂が山梨県足和田村
(現・富士河口湖町)を襲い、西湖湖畔の2つの集落が壊滅。死亡・行方不明94名。

東海豪雨 2000/9/11。 北上する台風14号の影響で、本州付近停滞の秋雨前線活発化。428mm(1日)
の大雨が降った名古屋市は、河川氾濫で都市機能が麻痺。死亡10名、家屋浸水6万棟以上。

十勝沖地震 2003/9/26。M8、震源:十勝沖。日高、十勝、釧路の震度6弱。津波は浦河町で1.3m、
えりも町で遡上高4.0mに達した。石油コンビナート火災。行方不明2名、負傷842名、家屋損壊1703棟。

平成23年台風12号・紀伊半島豪雨 2011/9/3。強風域は直径1,000km超。紀伊半島1週間の総雨量
約2,000mm。死亡・行方不明 98名、損壊浸水家屋2万6千棟以上。

平成25年台風18号・初の特別警報 2013/9/15。過去最大の大雨台風。福井・滋賀・京都に、前月末
設定した「大雨特別警報」発令(開始後初始動)。死亡・行方不明8名、浸水損壊家屋5,800棟以上。

御嶽山噴火 2014/9/27。正午近く長野岐阜県境の御嶽山噴火。行楽時期の週末、山頂は登山客が多く、
死亡・行方不明63名の戦後最悪の火山災害。気象庁は「噴火速報の情報提供」を開始、「噴火警戒レベル
1(平常)」を「活火山であることに留意」に変更。火山がある自治体は「登山届提出義務化」を始めた。

平成27年関東・東北豪雨、鬼怒川決壊 2015/9/10.。台風18号が9月7日に低気圧になり関東・東北
は5日間で総雨量600㎜超。10日朝、気象庁は栃木県・茨城県に「大雨特別警報」発令。同日昼過ぎ鬼怒川
堤防決壊。逃げ遅れから死亡14名、損壊・浸水家屋2万棟以上。的確な避難情報の課題を残す。

平成28年北海道胆振東部地震 2016/9/6。北海道胆振地方中東部震源。M6.7。震度7の厚真町は道内

最大発電所(苫東厚真火力発電所)緊急停止、他発電所も連鎖停止。日本初の電力会社管轄エリア全域停電。
札幌市震度6弱、道内震度4以上。死亡43名、負傷782名。家屋被害1万6千棟。

平成30年台風21号 2018/9/4。本土上陸台風として1993年台風13号以来25年ぶりの規模。関西空港
は最大瞬間風速58.1m/sの暴風雨。関空滑走路水没、本土連絡橋にタンカー衝突。長時間孤立した関空利用
客約8千人をフェリーが救出。家屋損壊9万軒以上。関西電力管内延べ220万軒停電。

平成30年台風24号 2018/9/30。沖縄27時間暴風域、鹿児島与論町は最大瞬間風速56.6m/s。屋久島
町の雨量240mm/3h、紀伊半島で過去最大の高潮。東京八王子市は最大瞬間風速45.6m/s。首都圏でJRが
初の計画運休。被害は南西諸島と九州中心に死亡4名、負傷231名。浸水・損壊家屋1万2千棟以上。

令和元年台風15号 2019/9/9。朝5時頃、過去関東上陸台風最強クラスが千葉市付近上陸。関東南部は
記録的暴風。君津市の送電線鉄塔が倒壊、市原市はゴルフ練習場の支柱が住宅を損壊。停電90万軒以上。
電気の全面復旧2週間以上、長期間の断水と通信障害でインフラの脆弱性が明らかになる。

令和4年台風15号 2022/9/23。23日室戸岬南約300km沖で発生。静岡市の雨量は平年9月の1.5倍
(416.5mm/24h)。浸水家屋9千棟以上、停電約12万軒。静岡市清水区6万3千軒が断水。復旧2週間。

 近年は大型台風が毎年発生、地震も多く不安が募ります。しかし防災技術の向上と早期避難で
死者は確実に減少しています。字数の関係で対策の転機となった災害に絞りましたが、ご自身の
勤務地や居住地の災害記録を調べると、起きやすい災害が予測でき、避難計画に役立ちます。

関連書籍 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

「益田文和氏が提唱する、野生動物+SDGs」
「WOOD DESIGN AWARD」開始以来、審査員としてお馴染みの、openhouse 益田文和氏は、
全国の企業・団体のデザインコンサルタントや数々の大学で指導され、最近2冊の本を出されて
います。森や山に親しむ人が共感を覚え、学びを得られる内容と評判ですのでご紹介します。
一冊は、人間中心のSDGsの問題を斬新な視点と語り口で指摘する「どうぶつに聞いてみた」。
もう一冊は、宮城県の三上義弘氏が金華山の野生動物と共に生活しモノクロフィルムに記録した
半世紀のライフワークですが、13年前に東北大震災で全て流されながら、後に神社に奉納された
ネガフィルムが奇跡的に発見され、益田氏が編集した「写真集・霊島金華山の鹿たち」です。
いずれも下記サイトから入手できます。

「どうぶつに聞いてみた──アニマル SDGs」
https://animalsdgs.stores.jp/items/6162e52c306ad35cc3fd3391

 SDGsが叫ばれていますが、動物たちからみたら人間の作ったSDGsってなんでしょう?
今こそ、発想を転換しよう! アニマルSDGsは人間SDGsへの逆提案 人間中心の発想はもう限界。地球上の
哺乳類は重量比で人間34%、家畜62%、野生動物4%という研究報告がある。人間と家畜で94%。一方、
世界は気候変動、紛争や戦争など悪化の一途をたどり明るい未来は描きにくい。科学者や環境活動家は
「人類が技術革新と経済成長の結果、自らを滅ぼしている現実」を嘆くばかりで改善の糸口は見えない状
況。今こそ発想を転換!「アニマルSDGs」は人間SDGsへの逆提案。著者は環境省グッドライフアワード
実行委員長 益田文和と、動物かんきょう会議の原作者&総合プロデューサー イアン筒井(同書紹介文より)

「写真集・霊島金華山の鹿たち」
https://sloc.theshop.jp/categories/5814831

 宮城県石巻市にある金華山黄金山神社。ここで写真を撮り続けたカメラマン:三上義弘氏のネガフィルム
が見つかった。2011年の津波で流されたと思っていたが、そこには多くの生き物たちの記録が残っていた
ので、openhouseではこれらを集め編集し、写真集を制作しました。(同書紹介文より)


益田文和 (ますだ ふみかず) サステナブルデザイナー 株式会社オープンハウス代表取締役 1949年東京都出身。
東京造形大学卒業。1991年株式会社オープンハウス設立。インダストリアルデザインの実践とともに、東京造形大学教
授をはじめ、デザイン教育や社会活動に携わってきた。 2013年本社を東京都心から山口県宇部市の中山間部に移転、
サステナブルな暮らしと仕事を実践している。 2024年8月現在一般社団法人SDGsワークス理事 環境省グッドライフ
アワード 実行委員長 キッズデザイン賞審査委員長 ウッドデザイン賞審査委員 (プロダクツ分野長) 名古屋学芸大学
メディア造形学部客員教授 金沢美術工芸大学名誉客員教授 ほか

山小屋通信🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

「樹々に囲まれた美術館」大森 明(森の駅発メルマガ編集・発行)


先日、碌山美術館(長野県安曇野市)を初めて訪れた。
実際に訪れて、蔦の這う煉瓦造りの教会風建物の美術館が樹々の間から見えてくると、
その落ち着いた佇まいになんだか気分が高揚してドキドキした。
実は、安曇野にある美術館ということで、勝手な想像なのだが広く深い森に囲まれた美術館と
思い込んでいたが、訪れてみると電車の駅や道路に近い開けたエリアにあり、
深い森というより、樹々に囲まれてはいるが明るい空間にある美術館だ。
券売所から美術館へ続くアプローチには樹林が続いていて、
少し歩くと蔦に覆われた美術館の建物が樹々の間からかい間見えてくるようになっている。
その樹々と蔦とレンガ作りの建物の見事な組み合わせを絵に描いて
今回掲載したのでご覧いただきたい。
また、樹々や蔦に覆われた建物だけでなく、内部の展示も素晴らしく、
荻原禄山が30歳で生涯を閉じるまでの短い期間に創作した力強い彫刻作品が
たくさん展示されていて、その若々しさあふれる作品の迫力に圧倒された。
惜しまれるのは円熟した中老年期の作品も見たかったという点。
いずれにせよ、はるばる来てよかったと思えるお薦めの美術館だった。

<青ヒバの会>🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

「住まいのカタチ8章」市川 皓一(一級建築士)

第7章- 2 木の家は森の恵み

丸太一本買いの奨め。
 無垢材を多用した一品制作の木の家づくりはどうすれば安く、省コストになるか、私はこれを
ゴミゼロを目標に掲げ実践する、現地製材工場と共に実行しています。必要なものは必要なだけ
注文し、不必要な在庫や見込み製作は行いません。丸太は天然乾燥をし、製材品は設計図書から
木拾いした木材調書に基づいて製材すればよいのです。立木を丸太に加工したものを素材と言い
ますが、素材丸太を製材すると製材品になります。

 青森ヒバの森林は天然林(スギ、ヒノキは人工の2次林)です。幼木の10~40年が日陰で育つ、
陰樹であり、成木から老木の100~250年生になると陽樹に変身し巨樹になります。実生であり、
稚樹、幼樹、成木、老木が混然一体となりファミリーを構成します。青森ヒバの森は人間社会と
似た森林なのです。私達はこの木を最大限に利用するため、丸太1本を使い切る事を施主に薦めて
います。住まいづくりが環境破壊につながる事は、厳に慎みたいのです。そのため<青ヒバの家>
は家の部位、部材の全てに無駄なく使います。製材工程で通常は廃材になるバラ板をプレーナー
処理し、収納の壁や結露しやすい押入れの内部に貼ります。正に、健康素材丸太の一本すべてを
使い切ることを心掛け実践しています。


 天然の立木の姿勢に木材の使い勝手を合わせると、図のような構成になります。丸太一本から
わずかに取れる貴重な柾目材は高度な加工を伴う建具材や家具材にし、デッキ材など外部には、
薬掛けをする必要が無いので積極的に使用しています。さらに青ヒバの製材過程で出るオガ粉で
ヒノキチオールを抽出し、(残滓は抗菌性があるので土壌改良剤となります)抽出されたヒノキ
チオールは、横架材に使用している赤松の防カビ剤として使います。正に健康素材丸太の一本全て
を使い切る事が肝心です。他の国産材、例えばスギの厚板(42㎜)を野地板に使用し、断熱材の
役割を付加させ、気密化が進む住宅内の調湿機能を持たせています。

 昔の木挽きの知恵を生かし、巨木に育った丸太を適材適所にに使う事により、歩留まりの高い
省コストの青ヒバを主にした家づくりが可能になります。
 そもそも「木の家は高いのでは!」と言うユーザーの思い込みがあり、予算に限りがあるので
規格品の家で我慢できれば住宅ローンで縛られても安直に家を購入した方が良いと考えがちです。
しかし、人工の化成品に囲まれた家では家族の健康が心配だと考えるユーザーは、木の家が良い
と解っています。そこで<青ヒバの会>は、小セミナーや住宅現場の見学会、そして森林浴ツアー
を企画し、ユーザーの参加を促してきました。

 家づくりには数々の制約があり、森林施業、製材業、運搬業、加工業、販売、それぞれに従事

する業者のリスクがコストに反映されます。このリスクをあらかじめ予測し、理解する活動が、
仕事をする業者の不安を少なくする事になります。また、自然材である木材のクセを飲みこめる
知識の下地があれば、ユーザーは自分のこだわりを乗り越えるクライアントになれます。自然派
住宅志向の仲間としての付き合い方が住まいづくりに生まれれば、必要な素材を必要なだけ購入
する意図が、設計図書を通して通じ合えることになります。リスクの理解を生み、サプライヤーの
負荷が減り、安くて質の高い、住み手の個性が存分に反映された木の家が造られるのです。

美術コラム 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

広重師弟の『赤坂桐畑 』 戸田 吉彦(日本美術アカデミー理事)


初代広重「赤坂桐畑」1856(左) 二代目広重「赤坂桐畑雨中夕けい」1859(右) iいずれも『名所江戸百景』より

 夏と秋の気配が混じる変り目には、桐一葉落ちて天下の秋を知ると嘯(うそぶ)いたりします。
これは、豊臣秀頼の養育係だった片桐且元が、後日徳川に与した歴史を戯曲『桐一葉』にした、
坪内逍遥により広まりました。しかし且元が言った史実はなく五七桐紋の運命も無関係です。
そもそも五七桐紋は菊花紋と並ぶ皇室の紋、豊臣に限らず室町幕府や織田信長ら政治を行う者に
与えたのは肖像画に明らかで、現在は内閣総理大臣の象徴です。よく似た五三桐紋との違いは、
葉の上の花の数です。さらに桐紋は白桐(キリ科)の意匠、桐一葉は青桐(アオイ科)の諺です。
古代中国では梧桐(青桐)に鳳凰が降りると言い、古代の天皇が桐紋を愛したのが始まりでした。
「桐一葉」の諺は、古代中国前漢時代の淮南の王、劉安が編纂させた哲学書『鴻烈』の現存部分、
「淮南子 (えなんじ) 」説山訓にある、「一葉の落つるを見て、歳のまさに暮れなんとするを知る」
が起源です。周囲の木がまだ青々と繁っていても青桐 の葉が最初に落ちるので、それを見たら、
「歳の暮れなんとするを知る」、秋冬の到来を覚えるべしと油断を戒めた教訓でした。
 夏咲く薄紫色の花は美しく、桐の花は夏の季語、桐の葉は秋の季語になります。

桐一葉 日当りながら 落ちにけり 高浜虚子
 堅苦しい話から始まりましたが、九月の到来で桐を思い出したので、初代広重(1797-1858)の
『赤坂桐畑』と、二代広重(1826-1869)の『赤坂桐畑雨中夕けい(景)』をご紹介します。
二代広重の『赤坂桐畑雨中夕けい』は、初代広重の遺作となる『名所江戸百景』の中にあります。
経緯は、初代が完成を待たず病に倒れ、没後の刊行に版元が今後を考え、二代広重の襲名披露に
描かせたと言われます。確かに当時の慣習からも有り得ることで、他の理由も見当たりません。
興味深いことに『名所江戸百景』には同じ場所を描く初代広重の『赤坂桐畑』もあり、師弟競作
が楽しめます。多くの弟子から選ばれた二代目だけに、初代の持ち味と構図を見事に再現、落款
がなければどちらの作か分かりません。二代広重の最高傑作と褒める人もいれば、赤坂桐畑の絵
は初代より好きだと言う人もいるほどです。その一方『名所江戸百景』は初代広重の作だからと
揃物の1枚に数えない人もいますが、初代が病に倒れた頃に、初代の名で出した絵の幾つかは、
二代広重の筆で完成したであろうことは、多くの浮世絵研究者が認めているところです。

 二代広重が再現した広重らしさとは、雨に煙る叙情性です。この湿度の高い日本の景色こそ、
先に大胆な構図で従来の名所絵と一線を画し、風景画を確立した北斎との違いだと思います。
初代広重は北斎の絵を研究の上、詩的な叙情性で独自の世界を作り上げ人々に愛されました。
また上から見下ろす視点は、初代の『大はしあたけの夕立』、鳥の目で見る『深川洲崎十万坪』
と同じです。一方同じ場所を描く初代の『赤坂桐畑』は、地上の目の高さで虎ノ門方面を眺め、
広重が北斎からヒントを得て自家薬籠中の物とした、遠近の演出に近景を強調する画法です。
ゴッホが模写した有名な『亀戸梅屋鋪』、鯉幟が眼前に迫る『水道橋駿河台』、亀が橋の欄干に
吊り下げられた『深川万年橋』等々、どの傑作も『名所江戸百景』に収録されています。

 両作品に描かれた水辺は、家康入府の昔から湧水があり、上水道が完備するまで飲用に用い、
溜池と呼ばれ、この絵が描かれた頃は、江戸城の防備として残されていた大きなお濠でした。
岸の土を固めるため湿地を好み根を張る桐を植え、一帯は赤坂桐畑と呼ばれていたのでした。
今は埋め立てられ道路となり桐も無くなりましたが、溜池の名残りは弁慶橋の側にあります。
赤坂見附は江戸城赤坂御門の別称で、敵を見張る城門を当時は見附門と呼んでいた名残です。
筆者が長く勤めたデザインの会社も赤坂にあり、赤坂見附駅と一体化した商業ビルのデザインに
携わり、新ビル名のロゴタイプを決めるためデザイン案を100通り作った懐かしい場所でした。
開業前のビルから赤坂見附の交差点を見下ろしたことがあり、その景色が120年前に描かれた、
『赤坂桐畑雨中夕けい』とよく似ており、絵は今のベルビー赤坂付近のビルの上から見下ろした
視点になります。初代が得意なこの図法は、地形の高低差や位置の前後関係を心得ていないと、
省略した絵であっても嘘っぽくなり、その場所をよく知る者には疎(うと)まれるものです。

 この一帯の江戸時代の絵図* を広げると左上に、赤坂御門から下に行く道があり、これが現在
三宅坂から下り永田町を通る青山通りの東です。右に延びる溜池は現在の外堀通りです。下には
田町や一ツ木など今も名を残す通りが平行し、交わる所が現在の赤坂見附の交差点です。左下の
紀伊殿は、紀州徳川家の屋敷で現在の赤坂御所や迎賓館です。元赤坂の町名の下に定火消御屋敷
小笠原順三郎の名前があり、初代広重が同じ定火消の御家人だったと思い出すのです。
さらに二代広重の家も定火消、絵が好きなので同じ定火消の広重に弟子入りさせたのでしょう。
二代広重の『赤坂桐畑雨中夕けい』は、左に半分切れた縦長の物見の様な塔を載せる家があり、
これが小笠原順三郎の屋敷の一部なら、師匠の遺作の揃物に自分の名で一枚加えるにあたり、
定火消で繋がる縁故を暗示して描き入れたと考えられます。また消火現場や寄合で、親の代から
知らぬ仲でなければ、上から見たいと出向いたとしても不思議ではありません。
* 国立国会図書館 赤坂絵図 http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/iiif-curation-viewer/?curation=http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/09/1850/ndl.json&mode=annotation&lang=ja

我宿の 淋しさおもへ 桐一葉 松尾芭蕉
 二代広重は初代急逝(1858)の翌年、初代の養女と結婚し婿養子で名実共に跡目を継ぎますが、
年が離れ過ぎたのか離縁(1865)、喜斎立祥と号し横浜に移り住みます。横浜は蒸気機関車が新橋
間を結ぶ(1872)前ですが、ペリーが日米和親条約を締結し(1854)、小さな漁村から、急速に
国際貿易都市へ変わる時です。喜斎立祥の活躍は輸出用茶箱に貼るラベル絵が外国人に好評で、
「茶箱広重」と呼ばれますが、惜しくも43歳で亡くなりました(1869)。次に広重名を継ぐ三代
広重(1842-1894)は、先の存在を消すため二代広重を自称、派手な輸入アニリン紅を多用し開化
絵を描き「赤絵広重」と呼ばれます。蒸気機関車の絵は三代目自称二代広重です。その混同から
喜斎立祥となった二代広重に関心を持つ人は今では僅かです。時の変化に敏感な、「桐一葉」を
冒頭で紹介しましたが、江戸時代に生まれ発展した浮世絵の最終完成形と言える初代広重から、
感性も技も吸収した二代広重こと喜斎立祥は、新時代の到来に最も早く飛び込んだ絵師でした。
感性と才能に恵まれ、もう少し長く生きていればと惜しまれるのも、『冨嶽三十六景』を著した
時の北斎の齢七十まで、永らえることがなかった師、初代広重譲りなのです。


内閣総理大臣章(五七桐花紋) 意匠の元となる植物は、ゴマノハグサ科の桐という解説がある一方、箪笥の材とする
キリ科の白桐とする解説もあり悩みますが、記述はどちらも同じ白桐を指します(以下、千葉大学の解説を参照)。
キリの分類については多くの植物学者が頭を悩ませてきました。確かに花や種子の形からするとゴマノハグサ科のよう
であり、近年はこの分類で安定していましたが、高木になることなどからこれに疑問を感じる学者も多くいました。
最近のDNAの分析によると、キリはキリ属だけで独立したキリ科とするのが適当です。実は、ゴマノハグサ科はDNAの
情報によって最も変化しつつある科の1つです。これまでゴマノハグサ科とされていた植物はいくつかの科に再分類され
るようです。そのうちでもキリは独立して1つの科となります(中略)この分野は新しいデータが次々に追加されてい
ますので、かなり流動的な面もあります。数年後には新たな見解が登場する可能性もありますが、ここで述べた分類は
DNAだけでなく他の形質でも支持されていますので、完全にひっくり返ることはないと思います。キリの場合もその形
態をゴマノハグサ科やノウゼンカズラ科に当てはめようとしたために無理が生じていたわけで、全く独立したものであ
ると考えれば納得がいくのではないでしょうか。https://www.h.chiba-u.jp/lab/florista/kokubun/phylogeny/paulownia.html

参考文献:小林忠「浮世絵師列伝 (別冊太陽) 」平凡社・小林忠「浮世絵」山川出版社・望月義也「広重名所江戸百景」合同出版
図版は全て、Public domaine。

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下記の活動を行っています。皆様の生活とお仕事にお役立て下さい。

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当会のフォーラム、研究会のお知らせもします。お問合せ:happysun9@gmail.com

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https://moriniaisareruie.jimdofree.com/


3「市民フォーラム」開催:
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