メルマガ179

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森の駅発メルマガ No.179
2024 July 文月 七夕に書物を開き文の上達を願った風習があり、文披月(ふみひらきづき)と呼んだそうです。

 能登の大地震に始まった今年は防災を願い、過去月ごとの災害を振り返っています。7月は水害
が多く、近年は令和3年熱海伊豆山土石流、令和2年7月豪雨、令和元年九州南部大雨、平成30年
7月豪雨、平成29年7月九州北部豪雨と過去を上回る水災害が続き、政府・自治体は法令を改正、
災害警報や避難所設備を見直しましたが、「自己責任の避難」が基本方針になります(2018)。

2021年 熱海伊豆山地区土石流 7月3日10時半頃、静岡県熱海市伊豆山地区の逢初川で土石流が発生。
こし、逢初川上流(標高390m地点)で発生した土石流は、川沿いに海まで到達。逢初川下流の熱海市伊豆
山地区の住宅地は長さ約1km、幅最大約120mが被災、死者28人、負傷者4人、住宅被害98棟(全壊53)。
上流で違法な盛土が繰り返され排水などの管理がない事が原因。「宅地造成等規制法」を抜本的に改正し、
危険な盛土の規制など安全確保と責任の所在を明確にする「宅地造成及び特定盛土等規制法」を施行した。 

2020年 令和2年7月豪雨 7月3日~8日、九州付近通過の梅雨前線は東日本へ伸び停滞。暖かく湿った
空気が継続的に流れ込み、西日本、東日本、東北各地で大雨。4日~7日は九州に豪雨。岐阜県は6日から
の激しい雨が7日~8日に記録的大雨。熊本、鹿児島、福岡、佐賀、長崎、岐阜、長野で大雨特別警報発令。
総降水量2,000ミリ超。九州、東海、東北各地で、24、48、72時間の降水量が史上1位。熊本県は球磨川
氾濫、土砂崩れ多発、65人死亡、2人行方不明。死者全国84人、住宅16,599棟被災(全半壊6,125棟)。
新型コロナウイルス感染拡大中の災害に、避難所は「密」を避け、マスク・消毒液・検温の対応に混乱。

2019年 九州南部大雨 6月28日~7月4日、九州付近に停滞の梅雨前線へ暖かく湿った空気が流れ込み、
線が活発化。九州南部の総雨量1,000mm以上。鹿児島県南さつま市大王川堤防決壊、河川氾濫と浸水が
広域発生。さらに線状降水帯が複数発生し各地で集中豪雨、土砂災害212か所の内150か所の鹿児島県は、
死亡2名、負傷5名。「命に危険を及ぼす土砂災害が発生してもおかしくない極めて危険な状態」と鹿児島
地方気象台は奄美地方除く県内に警戒勧告。鹿児島市は同市全域約59万人に緊急避難指示を発令。危険な
場所の居住者に対してだったが、市民は全員避難と思い込み混乱発生。適切な情報提供に再考が促された。
2018年 平成30年7月豪雨(西日本豪雨) 6月28日~7月8日、梅雨前線と台風7号で西日本一帯に長期
の記録的大雨。期間降水量1,800mm超、7月6日~8日、九州・四国・中国・近畿・東海では大雨特別警報
発令。各地で河川氾濫、浸水、土砂崩れが同時発生。住宅損壊・浸水約50,000棟、死者・行方不明245人。
道路の崩壊、集落の孤立、停電、断水などは寸断。51人死亡の岡山県倉敷市真備町小田川流域はハザード
マップの洪水浸水想定区域と一致。洪水予報や緊急避難指示も発信したが実際の行動に結びつかなかった。
翌年3月「避難勧告等に関するガイドライン」改定、「自らの命は自らが守る」方針が内閣府から示された。

2017年 平成29年7月九州北部豪雨 7月5日~6日、対馬海峡付近に停滞の梅雨前線へ、暖かく湿った
空気が流れ込み、発達した積乱雲が連なる線状降水帯が筑後川沿いに発生、九州北部同一地区で連日豪雨。
総雨量が600mm近くなり、土石流、山崩れ、洪水が発生、気象庁は「平成29年7月九州北部豪雨」と命名。
福岡県は記録的短時間大雨情報が15回発表され、朝倉市は1時間に129.5mm、2日間で586mmの記録的
降水量の豪雨。筑後川に注ぐ中小河川が氾濫、上流に土石流、山崩れ、下流に大量の土砂と流木が流れ、
福岡県と大分県で死亡・行方不明41人、浸水・損壊家屋2,000棟以上の被害。(文責:戸田)

目 次 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

・山小屋通信「キツツキのマイホームづくり」大森 明
・<青ヒバの会>「住まいのカタチ8章 - 第6章ー2」市川 皓一
・美術コラム「吉田遠志と高浜虚子の百日紅」戸田 吉彦
・関連情報「ドローンで森林計測」

山小屋通信🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

「キツツキのマイホームづくり」大森 明(森の駅発メルマガ編集・発行)


ある日の朝、いつものウオーキングコースの脇にある太い木あたりから、「コツ、コツ、コツ!」
という打刻音がしたので見ると、キツツキ(体長20cmくらいで種類不明)が木の幹をくちばしで
突いて穴をあけている。しばらく経ってキツツキが居なくなったのを見計らい、現場近くに行っ
てみた。電動ドリルであけたのかと思うくらい見事な丸い穴があいている。うまく掘るものだと
感心した。体が入るくらいの大きさの穴なので、間違いなく巣にするつもりだろう。
翌朝も同じく「コツ、コツ、コツ!」。丸い穴はだいぶ深くなっただろう。無事に巣穴になり、
ひな鳥がちょこんと顔を出すようになったらいいなと想像した。
ところがなぜか3日目以降、キツツキの打刻音が聞こえなくなった。巣穴作りは建設ストップ状態
になってしまったようだ。1週間経ったが打刻音は聞こえず、キツツキの姿も確認できない。
何らかの事情で巣穴に適していない場所だと判断したのだろうか。近くによく姿を見せるカラス
や他の動物に追い払われてしまったのかもしれない。
当方は巣作りの邪魔をしないようにウオーキングコースを変更して迂回し、極力近寄らないよう
にしていたのに残念だ。でも、いつかキツツキが戻ってきて、また「コツ、コツ、コツ!」とマイ
ホームづくりを再開してくれることを願って、今も遠巻きにウオーキングしている。

<青ヒバの会>🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

「住まいのカタチ8章」市川 皓一(一級建築士)

第6章 住宅の未来

三層の立体空間。
日本の住宅における、木造在来構法の基本は平屋建てです。東アジアの高温多湿な気候風土で、
夏を旨とすれば、高床式の寝殿造りが過ごしやすく、平安時代に確立しました。
現代の都市に居住する人々にとって、一戸建ての住宅を望んでも、地価は高く狭小地になります。
狭小敷地を有効利用しようとすれば、多層化した立体的三階建て、あるいは二階建てに屋根小屋
を利用した三層の家か、地下階を設けた三層の立体空間として計画する事になります。
計画方針は隣接する土地や道路付の状況によって変わり、また家族構成によっても異なります。
家族が集まるリビングルームは家の中心に置きます。
屋外とのつながりと、自然採光の取り込みを考えると、二階にファミリールームを設け、
その上を個室または寝室にし、その下を主寝室とし、二階部は水廻りの洗面、浴室になります。
これは道路に埋設されている都市インフラと接続のためにも、地下階には設けられません。
いずれにしても構造は純木造ではなく、地階はコンクリート造になります。
また外部との接続がないことを活用して、書斎や音楽室等にしたいものです。
最近急速に広まっているテレワークのスペースにしても最適です。
地下階は防カビ対策のため、青ヒバ板の内装をお奨めします。
法令上、地下階は床面積に算入されず、屋根裏室もその下の階の八分の一までは算入しません。
採光・通風については天窓を設ければ可能で、星空を眺めながら就寝する事もできます。
いずれの場合も構造計画を伴いますので、立体的な動線を考慮し、屋根形状に工夫をこらす必要
がありますが、積極的に取り込んだ都市住宅にして、積極的に土地活用を計りましょう。


左・外観:3層構造住宅の家(東京都品川区K邸)右・内観:ビングダイニング 設計/市川皓一

美術コラム 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

「吉田遠志と高浜虚子の百日紅」戸田 吉彦(一般社団法人日本美術アカデミー理事)


吉田遠志(よしだとおし)木版画「百日紅(さるすべり)に集う」1979 フランクリン画廊予約制作

 画題「百日紅に集う」は、花咲く百日紅の木陰に炎天を避け憩う4羽の小鳥を指しています。
尾が長い小鳥は、黒い頭と灰青色の羽根からオナガでしょう。「百日紅」は夏空を背に梢の先に

鮮やかな赤や白の花が咲く姿が印象的です。原産国の中国から日本に来たと思われ、百日も長く
咲き続ける様を名付けた漢字名も一緒に渡来したと考えられます。現在の中国も同じ名前を同じ
花木に使います。その和名「さるすべり」は木の幹がツルツルして木登り名人の猿も滑るという、
日本人の洒落が効き、一度聞けば子供も忘れません。作者の吉田遠志(1911-1995)は昨年11月に
紹介した、「秋之銀杏」を描いた吉田博(1876-1950)の長男で、絵の中で、犬の世話をしている
男児です。13歳で父から木版画を学び、19歳でインド・ピルマ・マレーシア、25歳の時には中国
東北部・朝鮮半島を巡る父の写生旅行に同伴しました。国際的に活躍した父の新版画芸術を助け
引き継ぎ、自身も海外で日本の木版画の個展を何度も開き、積極的に紹介した事業継承者です。
晩年には動物画のシリーズに取り組み、独自の世界を拓き、海外からも大きな評価を得ました。
遠志が描いた犬と戯れる絵は、図らずも遠志の得意分野を暗示していたと言えます。

吉田遠志 明治44年東京本郷生まれ。昭和13年太平洋画会初入選、戦後は日展やアンデパンダン展出品。
同25年プラス美術家群創立。翌年日本版画協会会員。同27年米国と欧州の各地で、伝統的木版画の技法を
紹介する講演と展覧会。同29年13歳年下の弟で洋画家の穂高と訪米し講演と展覧会。以後も米大陸各地で
展覧会開催。同48年アフリカ旅行。以降インド・オーストラリア・南極を旅し野生動物を描く。同55年に
長野県北安曇郡美麻村小中学校旧校舎を「美麻文化センター」とし木版画や陶芸指導。動物シリーズにより
伊ボローニア国際児童書フェスティバル・エルバ賞、仏アミアン市文化交流賞を受賞。平成7年死去。

吉田 博 明治9年久留米市生まれ。同32年渡米。デトロイト美術館やボストン美術館等で展覧会を開催、
大成功を収めパリ万博出品。米欧を遊学。同34年黒田清輝(明治美術会を去り白馬会を設立)に対抗、明治美
術会を改組し太平洋画会を設立、翌年第1回展覧会開催、以後毎年開催。同40年第1回文展出展、同43年以
後審査員。大正8年第1回帝展出品、同13年以後審査員。大正14年以降自ら彫摺を監修した木版画を制作。
昭和5年アジア各国訪問。同13年~15年毎年訪中(従軍画家)。同22年日展審査員。25年4月5日死去。

「百日紅」は俳句でもよく取り上げ、虚子(1874 - 1959)の句を思い起こす人もいるでしょう。
遠志の父の博より二つ歳上の虚子は、同じ明治、大正、昭和の激動の時代を生きた俳人でした。


 虚子は、明治・大正・昭和と長く活躍し、今に至る現代俳句の方向性を決定づけた俳人でした。
五・七・五の字数に内容を凝縮する俳句では、二つ以上の季語(季重なり)を避けます。ところが
この句は、百日紅の他に炎天も夏の季語です。しかし稀に、主たる季語が明快で季語の重なりが
功を奏し、同じ情感を他の言葉に置き換えられない句が生まれ、この句は季重なりの傑作として
知られます。また虚子は、百日紅を子規に俳句を習った頃の思い出と重ね、短文も書いています。
なお文学では、「百日紅」を「さるすべり」以外に、「ひゃくじつこう」と読む時もあります。

日紅 高浜虚子
 昔俳句を作りはじめた時分に、はじめて百日紅といふ樹を見た。それ迄も見たことがあつたのかも知れな
いが、一向気がつかなかつた。成程百日紅といふ名前のある通り真赤な花が永い間咲いてゐるものであるわ
いとつく/″\其梢を眺めた。又さるすべりといふ別の名前のある通り木の膚のすべつこいものではあると
其皮の無いやうな膚をもつく/″\見た。
 其後百日紅といふ題で句作する時分に、私の頭の中では、真夏の炎天下にすべつこい肌を持つた木の真赤
な花を想像するのであつた。さうして葉はどうかと思つたが、葉は全然眼に入らなかつたから無かつたので
あらう、葉は花が散つた後に出るものであらうと考へてゐた。たゞぼんやりとさう考へてゐた。
 其後実際よその垣根や森の中などに百日紅の咲いてゐるのを見たことがあるが、唯百日紅が咲いてゐるわ
いと考へる許(ばか)りで別に右の印象を訂正するやうなことにも出食はさなかつた。
 私の庭に百日紅を植ゑてからよく見て居ると、事実は全然間違つてゐた。葉が無いどころか、葉はあるの
である。真赤な花は葉の先に咲くのである。それに真夏の炎天下にはまだ花をつけはじめた時分で花の盛り
ではないのである。
 先づ冬は唯枯木である。他の落葉する木と共に全く枯木であるが、唯肌のすべつこいのが特に目立つて見
える。春の間は外の木が花をつけたり木の芽を吹いたりするに拘(かかわ)らず、素知らぬ風をして枯木の
まゝである。夏の始になつても尚ほ枯木である。外の木が大方若葉を吹き出す頃になつても尚ほ枯木であ
る。私の家の庭にある木の中では一番最後迄枯木の儘(まま)であつた。さうして外の木の若葉がもう若葉
といはれぬ位、緑も濃い色になつた時分に漸く若葉らしいものを着けはじめた。もとからあつた枝に一応葉
が揃つた時分に、新らしい枝がつい/\と出はじめて其枝にみづ/\と柔かい大きな葉が出はじめた。夏も
末の頃になつて漸く新らしい枝のさきに白い粉の吹いたやうな莟(つぼみ)が沢山につきはじめて、其の苔
がほころびるとはじめて赤い花が咲くのであつた。其の赤い花は長い間咲いてをるが、其は夏の末から秋に
かけて咲くのであつて、むしろ秋の部分が多いのである。
 実際庭に植ゑた百日紅を見て、はじめて右のやうなことが判つた。
 が、しかし席題に百日紅といふ題が出た時などは、ふと真夏の炎天下に真赤に咲いてゐる、葉の無い、花
ばかりが梢にある、肌のつる/\した木を想像するのである。さうではなかつたと考へてもどうも其最初の
印象がこびりついて居るのである。
 其最初の印象といふのは、子規に俳句を見てもらひはじめた時分のことである。一本の百日紅を、こんな
変てこな、肌のすべつこい、真赤な花の群がり咲いてゐる木があるものかと、熱心に見上げてゐる若い自分
の姿さへをもはつきりと思ひ浮べることが出来るのである。(昭和六年九月)

出典「青空文庫」入力門田裕志 校正noriko saito 2009年11月28日作成 底本「花の名随筆 7 七月の花」作品社
1999年6月10日初版第1刷発行 底本の親本「定本 高浜虚子全集 第九巻」毎日新聞社 1974年6月発行

高浜虚子 明治7年愛媛県松山市生まれ。本名高濱淸(たかはまきよし)。伊予尋常中学校同級の河東碧梧桐
に正岡子規を紹介され俳句を学び、俳号虚子を授かる。碧梧桐と京都の三高へ進み下宿を「虚桐庵」と言う
ほどの仲良しだった。三高学科改変で仙台の二高へ碧梧桐と転入後に中退。上京し子規庵に居候。放蕩の日
を送る。余命短い子規から俳句の後継を頼まれるも否み一大事となる。結婚するも母の病で帰郷中に勤務先
を解雇され困窮。子規の助けで柳原極堂が松山で創刊の俳誌『ほとゝぎす(ホトトギス)』を継ぎ、俳句に
和歌と散文を加え東京で出版し人気雑誌に発展。明治35年子規没後小説に注力。同43年鎌倉移住。碧梧桐
の新傾向俳句を、俳句は五七五で季節を重んじるべしと批判、「春風や闘志抱きて丘に立つ」と決意を詠み、
大正2年俳壇復帰。昭和12年碧梧桐の死を「たとふれば独楽のはぢける如くなり」と悼む。同34年4月8日
没。『ホトトギス』から、飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎、松本たかしを輩出。

枝先へ 枝先へ花 百日紅 星野立子(1903-1984)
 虚子の薦めで句作をはじめ、女性俳人として名高い虚子の次女、星野立子(たつこ)にもまた、
「百日紅」の句がいくつもあるのは、当然父の影響ながら、女性らしい情感が伝わって来ます。
「咲きがけは 百日紅も 花やさし」
「曝書まぶし 百日紅の 花よりも」

星野立子(ほしの たつこ) 明治36年東京都生まれ。7歳で両親と鎌倉へ移住。東京女子大学高等学部卒業後
『文学界』主宰星野天知の子、星野吉人と結婚。『ホトトギス』発行所と文化学院に就職。虚子の案で初の
女性主宰誌『玉藻』創刊。中村汀女・橋本多佳子・三橋鷹女らと女性俳人四Tと称される。虚子の死後朝日
俳壇選者継承。昭和59年3月3日没。

 また立子のライバルの、汀女、多佳子、鷹女も「百日紅」を詠んでいます。それぞれの句に並ぶ、
祈り、つかれ、開かず、の言葉は、虚子の傑作が頭を過ぎる、作句の悩ましさが思い浮かびます。
「いつの世も 祈りは切や 百日紅」中村汀女(1900-1988)
「百日紅 つかれし夕べ むらさきに」橋本多佳子(1899-1963)
「百日紅 百日咲いて 開かずの門」三橋鷹女(1899-1972) 

花終へし 百日紅に 雨烈し 高浜年尾(1900-1979)
 虚子の長男年尾もまた「百日紅」を詠んでいます。虚子の熱い性格を思わせる、炎天下に盛りを
迎えた花の句とは逆に、花の終わりに降り注ぐ烈しい雨に、季節の移り変わりを観る一句です。
「父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」と詠む、立子に偉大な父を慕う娘の一途さを感じれば、
敢えて逆の世界観で父の名句に挑む年尾は、男の子(おのこ)としての独立心でしょうか。

高浜年尾(たかはまとしお)明治33年東京生まれ。小樽高等商業学校卒業後旭シルク入社。転勤で兵庫県
芦屋に転居。開成中学時代に父・虚子から句作の手ほどき。1938年『俳諧』発行。『俳諧』は俳句、連句、
俳文、俳詩、俳論、俳句の英・仏・独訳を掲載。1939年旭シルク退社。以後俳句に専念、関西俳壇の中心
として活躍。戦時下『俳諧』を『ホトトギス』と合併。1951年『ホトトギス』選者。1959年朝日俳壇、
愛媛俳壇選者。同年『ホトトギス』主宰を虚子より継承。1979年10月26日死去。

 高浜虚子と吉田博が同時代と同様、両家の子女も同じ時代を共有した、事業の継承者でした。
遠志の「百日紅に集う」小鳥たちから、それぞれ苛烈な時代を生きた芸術家をご紹介しました。

サルスベリ 中国南部原産のミソハギ科サルスベリ属 落葉小高木 学名:Lagerstroemia indica 樹皮の
表は滑らかで全体は淡褐色、所々白く濃淡混じる斑模様。夏の幹の成長に伴い古い樹皮のコルク層が剥がれ
表にツルツルした感触の樹皮が現れる。幹も枝も曲がることが多い。樹高10m。耐寒性耐暑性に優れ初心者
も育てやすい。赤白の開花期が長く庭木や園芸に用いる。材は硬くて重く線路の枕木など土木用途で使用。
「サルスベリの育て方」→ みんなの趣味の園芸(NHK出版)→
https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-10/target_tab-2

関連情報🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲

🌲鹿島、ドローンで森林計測30倍速 仮想空間使い保全支援 
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC300RE0Q4A530C2000000/

🌲森林価値のドローン計測、精度高く 徳島・神山の実験
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC182Y40Y4A610C2000000/

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森の駅推進協議会は、日本の森林産業停滞の解決へ向け、
森の駅発で、下記の活動を行っています。ご参照の上お役立て下さい。

1「市民フォーラム」開催:
日本の森と日本の森が産み育てる国産木材、それを活かす健康な住環境をはじめ、
生活者の目線で市民の皆様の理解をすすめる講演会を広範囲な視点から企画開催。
内容や開催日など当メルマガ(下記3)でお知らせします。

2「健康住宅/森の駅発」の活動:
日本の森を元気にする!住む人を元気にする!住まいづくりのため集まった
プロ集団が「森に愛される家」を普及します。イベント情報もお届けします。
https://moriniaisareruie.jimdofree.com/


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