メルマガ177

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森の駅発メルマガ No.177
2024 May 早月 早苗月が省略されたと言われる陰暦5月。この時期咲くツツジ科のサツキと同じく皐月とも書く。

能登半島の被災に始まった今年は、毎月過去の災害を振り返っています。5月は地震に加え大気の
変化で生じる竜巻や気圧の変化で起きる暴風など、気象の災害が近年増えていますが、日本でも
死者を出す竜巻や暴風が起き、大きな被害があったことが過去の事例から分かります。参考まで
に米国の竜巻例と、竜巻への対策も付記しました。(M=マグニチュード、F=竜巻の藤田スケール)

昭和14年(1939)男鹿地震 5月1日 14:58 秋田県男鹿半島沿岸震源M6.8。秋田市で震度
2分後にM6.7の最大余震が発生。震源が浅く、死者27人、負傷者52人、家屋全半壊1,300棟以上。
平成24年(2012)茨城県を中心とした大規模竜巻 5月6日 午後 茨城県の竜巻の規模はF3。
上空の強い寒気の影響で関東に相次ぎ竜巻が発生。茨城県の家屋倒壊で1人が死亡、埼玉県と富山県の落雷で2人死亡。
昭和29年(1954)低気圧急発逹「メイストーム」5月9~10日 低気圧が急速に発達しながら日本海西部
から北海道東方海上へ進み、翌10日にかけ広い範囲で天気が大荒れになり、暴風や高波で漁船の沈没や消息不明などの
海難事故が多発し死者・行方不明者が約400人に達した。この災害が「メイストーム」(5月の嵐)の語源となった。
昭和30年(1955)紫雲丸事故 5月11日 6:56 香川県高松港沖の瀬戸内海で濃霧が発生し、国鉄宇高連絡船
の紫雲丸が貨物連絡船と衝突。沈没し168人死亡、122人負傷。犠牲者の多くが修学旅行生でした。
昭和43年(1968)十勝沖地震 5月16日 青森県東方沖震源M7.9。北海道、青森県、岩手県で震度5。
東北と北海道の太平洋側に5mの津波。三陸沿岸で浸水の被害、52人死亡、330人負傷、家屋全半壊3,000棟以上。
大正14年(1925)北但馬地震 5月23日 11:09 兵庫県北部円山川河口が震源M6.8。兵庫県豊岡市震度6。
震源に近い兵庫県但馬地方に被害が大きく428人死亡、家屋全壊1,295棟。地震発生が昼食準備時に重なったことから
各地で火災が発生。豊岡や城崎の市街地は火災により広範囲が焼失、焼失家屋2,180棟。
大正15年(1926)十勝岳大噴火 5月24日 16:18 北海道十勝岳の噴火で中央火口丘北西部が破壊、大規模
な泥流が噴火30分後に山麓の上富良野町や美瑛町に達し集落等が埋没。144人死亡・行方不明、被害家屋300棟以上。
昭和58年(1983)日本海中部地震 5月26日 12時頃 秋田沖震源M7.7。青森県むつ市他、秋田県秋田市で
震度5。地震発生から約15分後に大津波警報が発表されたが、それより早く地震発生直後の12時7分頃から秋田・青森
両県に高さ5~6mの津波が来襲。遠足の児童が巻き込まれ、死者104人のうち100人が津波によるものでした。
昭和36年(1961)三陸大火 5月29日 13:39 岩手県三陸沿岸山間部火災。焚火の不始末や材木が炭小屋の
窯に倒れるなどが発端で14カ所から相次ぎ出火、西寄りの強風に煽られ飛び火しながら岩手県沿岸部の集落に達した。
この後4日間にわたり燃え広がり、40,000ヘクタール以上焼損、5人死亡、122人負傷、被害家屋1,000棟以上。
2013年米国ムーア竜巻 5月20日午後 アメリカ中南部オクラホマ州オクラホマシティ近郊のムーアを襲った
竜巻。竜巻の規模は改良藤田スケールで最強のEF5、風速は90m/sに達し、被害は長さ約27km、幅約1.6kmの範囲に
及び死者24人、負傷者370人以上、損壊家屋12,000棟。 小学校2つが直撃を受け死者の3分の1以上が児童だった。

近年は日本国内のどこでも強い竜巻が発生し各地で被害が発生しています。竜巻は特に積乱雲が
発達する夏から秋に現れますが季節を問わず発生します。兆候は雷が鳴り急に冷たい風が吹き、
雲の底から漏斗上の雲が見えるなど五感でも分かりますが、事前に気象庁のウェブサイトの竜巻
発生確度ナウキャストで竜巻や激しい突風の発生を確認できます。竜巻が起きると激しい突風が
吹き、建物の瓦礫や看板等が空中に巻き上げられ飛来物となり被害を及ぼします。危険を避ける
ため、鉄筋コンクリート等の頑丈な建物や地下施設に入り、通過を待ちます。窓ガラスの破片や
飛来物を避けるため、戸建て住宅は1階の窓の少ない部屋に移動するか、浴槽の中に隠れます。
雨戸、カーテンを閉め窓から離れ竜巻の通過を待ちます。屋外で近くに頑丈な建物や地下施設が
ない場合は物陰や窪みなどに隠れ竜巻の通過を待って下さい。出典: 東京都発行「東京防災」

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目 次
・山小屋通信「桜もいろいろ ~ ウワミズザクラとイヌザクラ」大森 明
・<青ヒバの会>「住まいのカタチ8章 - 第5章」市川 皓一
・美術コラム「杉浦非水の百花譜」戸田 吉彦
・報告「渋沢栄一ゆかりの王子・飛鳥山公園観桜会」

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山小屋通信「桜もいろいろ ~ ウワミズザクラとイヌザクラ」
大森 明(森の駅発メルマガ編集・発行)

1)

首都圏の桜の花見シーズンが過ぎた4月中旬、「川崎市まちの樹50選」に選ばれている「ウワミズ
ザクラ」と「イヌザクラ」を見ようと、川崎市多摩区にある東生田緑地に出かけた。
ベスト50に選ばれるくらいの樹だから、一度見ておかねばと思ったことと、
花期が4~5月との情報だったので、ちょうど花が見られることも期待して現地に向かった。
場所は駅から遠くバス便も無いので、天気の良い日を選んで歩いて行った。

現地に到着して「ウワミズザクラ」を発見。名が記された標柱があって、すぐわかった。
川崎市の情報で樹高8m。
期待通り白い花が満開に咲いていたが、サクラという名前でイメージする花とかけ離れた形状に
びっくり。まるでタワシというか、瓶を洗うブラシのような形をした花だ。
サクラの花にもいろいろあるものだ。一方、葉は一般的なサクラの葉と同じ形だ。

さらに歩いて「イヌザクラ」の大木を見つけた。やはり名が記された標柱があったが、こちらは
花は咲いておらず、葉が生い茂っていた。
それにしても大きな木で、川崎市の情報では樹高17m・推定樹齢100年となっている。
こちらも葉は一般的なサクラの葉と同じ形だった。
あとで調べるとイヌザクラの花もウワミズザクラの花と同系の姿形とのことだった。
帰り道に、サクラだからといってヒラヒラした花びらの下での花見を勝手にイメージするのは
人間側の勝手な考えで、サクラにもいろいろあって多様なのだと思った。

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<青ヒバの会>「住まいのカタチ8章」 市川 皓一(一級建築士)

第5章「青ヒバの家」づくりと設計手法

コロナ禍以後に考える、本当の住まいづくり
これまで<青ヒバの家>を約300棟造って来ましたが、コロナ禍でその活動が止まりました。
家づくりには注文主との面談が不可欠なのです。住み手が家にこだわる要素を最大限盛り込み、
ローコストに抑えた家づくりの実現、そのコストパフォーマンスの高い要求に応えるためです。
見学会も制限され、注文主に五感+αで感じてもらう<青ヒバの家>づくりを、実際に体験する
機会も少なくなりました。しかし<青ヒバの家>のコンテンツは変わりません。
・美しく古びる長寿命の家
・無垢材による自然環境の家
・パッシブエネルギーを最大限活用する家
この三つの要素を工学的かつ技術的に実現するカタチに、大屋根があります。
太陽光利用のソーラーパネルを乗せることもありますが、太陽熱が過剰な時もあります。
温暖化が進めばなおさらです。太陽光が降り注ぐ屋根面は45℃、その下の屋内空間は20℃。
空気中の水蒸気圧が天気図の低気圧と高気圧の関係になり、風が起きます。この現象を利用して
室内に微風を取り入れ、風の通り道を作ります。省エネのため気密と断熱を施し、電力を使って
換気をするのではなく、家全体に通気を起こし、抗菌性のある青ヒバで内装を施し、自然通風の
家を造るのです。これが軒を深くし太陽光の入射角度に考慮した大屋根の家づくりです。

2)

深い庇のあるF邸/設計:市川皓一

メーカーハウスは延面積×坪単価で家のコストを計算し、軒が無い箱状の家がモダンと言い換え、
日本の風土を無視した家になっています。家の値段は箱型家具を買うように考えてはなりません。
家は生活の記憶をとどめる人格形成の場です。親子三代が時を越えて過ごす空間が必要です。
器としてのスペースは5~60㎡で十分ですが、内と外の境界に工夫が必要です。
自然の光と風を受け、家にいて風雪を感じ、太陽の温もりを体感するという、楽しい家づくりを
して欲しいと思います。

水廻りと素足感覚
キッチン、浴場、トイレは水廻りと呼ばれ、住宅の中の装備スペースです。設備配管が絡むので、
メカニカルな部分が多く、技術革新による更新もあり、消耗も激しい場所です。しかしコストも
一番高く、坪単価で計ると他の部屋の倍以上になり家の値段を決定づけます。「住宅は住むため
の機械」と言った建築家がいましたが、水廻りだけは時代と共に技術革新されます。青ヒバ材は
腐朽菌に強くカビを防ぐ抗菌性があり、湯舟に使うと共に浴場の内装に使えます。また精油分を
含んだ板はほんのり暖かいので、素足で歩き回る脱衣洗面室でも素足感覚を味わえます。

流行に流されない、自分流の住まいづくり
空気は目に見えませんが、料理臭、体臭、腐臭等は鼻につきます。家の中心にシステムキッチンを
置く間取りの家は、家族が揃う食事スペースとしての象徴でしょう。しかし料理臭が家中に拡散し
ますので、空気の流れを意識すれば避けるべきです。訪問客が玄関を開けた途端、その家で何を食
べたかわかってしまいます。空間は空気の流れも設計する必要があります。<青ヒバの家>には大
小の吹抜けがあります。吹抜けに接するカタチでファミリースペースを設けて、厨房と水廻り、個
室との境は引戸で仕切ります。これは日本伝統の、軸組空間が作る優れた和の知恵なのです。

3)

左:湯舟も内装も青ヒバ/設計:市川皓一 右:引戸によって風の通りのあるE邸/設計:市川皓一

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美術コラム「杉浦非水(すぎうらひすい)の百花譜(ひゃっかふ)」
戸田 吉彦(一般社団法人日本美術アカデミー理事)

4)

杉浦非水『非水百花譜』大正 9-11年(1920-22)木版 初版 国立工芸館蔵 (展覧会場で筆者撮影)『非水百花譜』
は100種類の花を描いた多色摺木版100点と、100種類それぞれに対応した花の説明書100点、同じ花をモノクローム
のシルエットにして鼠色単色摺木版にした100点(説明書と単色版は同じ紙の表裏に刷られています)からなる豪華な
花の図案集です。原画を非水が担当し、当時一流の版画家が版画に仕立てました。(国立近代美術館展示説明より)

 日記を開くと、昨年4月、国立近代美術館へ近代日本画家の展覧会を見に行き、杉浦非水の
『百花譜』が同時に展示されていたと記されており、感動したことを思い出しました。

 日本初のグラフィックデザイナーと言われる非水は、東京美術学校で日本画を学んでいた時、
洋画の先駆者・黒田清輝のアトリエでアールヌーボーのポスターを見て驚き、清輝にこれから
日本は商業美術の専門家が必要になると諭されたと言われます。実際、後年筆者の母校多摩美
を設立し、初代学校長を長く勤めました。また非水の商業美術は数多く紹介されていますが、
代表作『百花譜』がメディアに出ることはなく、思いがけない出会いが嬉しかったのです。
展示された絵は、展覧会の開催時期に合わせて『百花譜』から選ばれたのでしょう。桜が多く
ある中に5月の花、蓮華躑躅(れんげつつじ)があり撮影可能だったのでこちらにご紹介します。
国立近代美術館は撮影可能な作品が多いのですが、非水の作品は全てパブリック・ドメイン、
著作権フリーです。自分の絵は万人のためにという非水の遺志の尊重ではないかと思います。

 5月に開花期を迎えるレンゲツツジは黄色や橙色の鮮やかな花を咲かす低木の花で、調べると
庭や鉢でも楽しめます。落葉樹ですが、最近の研究から、同じ落葉性のヤマツツジより、常緑性
のシャクナゲに近い仲間と分かったそうです。レンゲツツジは乾燥に弱く、夏に冷涼な地域では
湿地に群生して、関東平野にもかつては自生していたことから、暑さに弱いというより水切れに
弱いと思われますので、栽培に当たっては水切れしない注意が必要です。レンゲツツジは原産地
日本と中国に分布しますが、仲間の多数は北アメリカに分布し、北アメリカ原産のウィスコスム
(Rhododendron viscosum)とその交配種は日本でニオイツツジと呼び ヨーロッパ原産のルテウム
(R.luteum)と北アメリカ原産種を交配した園芸品種をエクスバリーアザレアと総称しています。
しかし鉢花で出回るアザレア(R.Belgian Azalea hybrids、常緑性ヤマツツジの品種群)と異なるグループ
なので、混同しないように注意が必要ということです。(NHK出版「みんなの趣味の園芸」より)

 非水については、多摩美術大学の発信で、美術と文学の先端にいた杉浦夫婦―モガ・モボ時代
の寵児(ちょうじ)と題する文章が、一般的な紹介と一味違って興味深いのでご紹介します。

 歴史ある大学にはその顔とも言うべき人がおり、慶応義塾大学の福沢諭吉、早稲田大学の大隈
重信、東京芸術大学の岡倉天心がよく知られています。多摩美術大学の場合は、その前身である
多摩帝国美術学校の初代校長だった、杉浦非水(すぎうらひすい・1876~1965)が有名です。非水は
明治9年、愛媛県に生れ(本名・朝武)、明治34年、東京美術学校(現・東京芸大)卒業、ヨーロッパ
遊学(大正11年~13年)後、大正14年ポスター研究団体七人社を結成するなど、初期商業デザイン
界に指導的な役割をはたし、昭和10年に多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)の校長となります。
与謝野晶子『夢之華』、田山花袋『髪』や、最初の円本の改造社版『現代日本文学全集』などの
装幀のほかにも、『非水百花譜』20集(昭和4年~9年春陽堂)など自身の著書も多くあります。
今日、杉浦非水と言えば日本モダンデザインの先駆者、芸術院恩賜賞を受けた日本画家、三越を
イメージアップした日本のアールヌーボーの天才的デザイナー、多摩美術大学創始者の一人として
尽力した教育者というイメージが一般的です。しかし非水にはそういう立派な硬いイメージだけで
なく、軟らかいロマンティズムと言うか文学的なイメージがあります。昭和初期に刊行された文学
全集「現代日本文学全集」のアールヌーボー風の瀟洒な装幀や、女流歌人与謝野晶子の『夢之華』
の華やかな造本に文学的な雰囲気が漂うからです。事実、生れた松山は、正岡子規、高浜虚子、
河東碧梧桐らを輩出した俳句王国のため、俳句の教養は幼い頃から身につき、翡翠郎という俳号
で俳句を作り、1905年東京中央新聞入社に際して非水と改めるまで、この号を用いていました。
与謝野晶子の激烈な歌集『みだれ髪』が出版されると、藤島武二によるアールヌーボースタイルの
表紙に刺激されて「みだれ髪カルタ」をつくるなど、非水には詩的精神が濃厚に感じられます。
またそれ故に、後に妻となる閏秀歌人の杉浦翠子からも愛されたのだろうと推察されます。
非水と同じ松山出身の友人で隣に住む出渕豊保の義妹にあたる翠子は、18歳ながら早くも詩才
を発揮しており、非水も翠子に心奪われます。 翠子は万国博のデザインや印刷に忙しい非水を
任地の大阪に度々訪ね、1904年に出渕豊保の立会で結婚した時、非水28歳、翠子18歳でした。
当時の非水は黒田清輝の影響もあり、西洋のアールヌーボーのデザインや装飾画に注目し、万博
が終わると三越に入社し(1908)人々が驚くデザインや広告を次々と発表します。「今日は帝劇、
明日は三越」と謳った消費文化到来の時代、 非水が描くポスターの美しい女性のモデルは翠子と
思われ、銀ブラで洒落たレストランやカフェに入り、コーヒーやカクテルを楽しむ流行の最先端
で二人は夫唱婦随のモガ・モボ、モダンガール・モダンボーイと持て囃される憧れの的でした。
気が強い翠子と温厚で包擁力ある非水は不思議なほど精神の波長が一致し、互いの新しい冒険を
強めたと言われます。 1960年に翠子75歳、1965年に非水89歳で大往生しました。
(多摩美術大学公式サイトより)

 最後に、『百花譜』と共に非水の謙虚と自負に満ちた文章が残っていますのでご紹介します。

乍然(さりながら)、其(その)出来上つた写生図は実際、実物を写生する時の私の眼の記録であつ
て、私の実物に対する心の印象そのものではない。私の写生図を展(ひろ)げて見る場合に、私に
のみ与えられる恵は、其実物を深く味わつた時の印象を、再び呼び起こしてくれる私の記憶であ
るのであります。故に、この出版された図譜は、私以外には私と同し程度の興趣や印象を得られ
るわけはありません。同時に芸術品として、見て戴く積りは無論ありません。古来から沢山ある
花卉画譜類と云う意味で、何等かを世に提供すると見れば、私としても、多少心の安らかさを覚
えるわけではあります。若し自身の写生図と他人の写生図とを同程度に扱ひ得る人があるとすれ
ば、その人は心の盲目です。参考書の意味に理解の無い人と言ひ得るでせう。私が既に獲得した
花卉の情趣や其命は、かうした出版物で、世に提供する方法を持ちません。世に多くの植物画
が、只単に植物学者のみの参考資料であつて、概して片弁細枝の部分的写生に流れ、我々画家が
常に其物足りなさを感じて居ること。世に多くの花鳥画譜が、あまりに其流派的の筆意に拘泥し
て、其実態を攫(つか)んで居ないこと。などに対して、聊(いささ)かでも、本図譜が何等かの意
味を持つとすれば、私の満足は此上もありません。(多摩美術大学蔵『非水百花譜』序文/読み仮名筆者)

5)

『非水百花譜』印刷頁 国立近代美術館にて撮影/『非水百花譜』ふじ・『地下鉄開通ポスター』多摩美公式サイトより
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報告:渋沢栄一ゆかりの王子・飛鳥山公園観桜会
6)

森の駅推進協議会は4月2日に王子駅前の小高い丘陵にある飛鳥山公園で観桜会を開催しました。
飛鳥山という名の通り、小さいながら標高25m余りの山であり、階段と坂道を登って5分程度で
なだらかな山頂部に到着しました。ここは江戸時代・徳川吉宗によって人々が桜の花見を楽しめ
るようにと整備された場所で、訪れた日も桜は咲き始めながら、好天に恵まれ花見客で賑わって
いました。また明治時代には、この地の一角に渋沢栄一が居を構えたため、現在では渋沢史料館
が建設され、また戦火を超え今も残る渋沢栄一ゆかりの当時の建物を見学しました。見学したの
は渋沢史料館、青淵文庫(せいえんぶんこ/渋沢栄一の書庫及び接客の場であった建物)、晩香廬(ばんこうろ
/渋沢栄一が国内外の賓客を迎えるレセプションルームとして使用した洋風茶室)で、渋沢栄一の辿ってきた人生
を目で見たり感じたりできるように復元されていました。また一旦解散後、渋沢栄一が始めた日
本の洋紙発祥の地に立つ紙の博物館も見学して、樹木から作る和・洋紙の歴史と用途を学び、桜
見物だけでなく、渋沢栄一の関連施設も見学できた、充実した観桜会となりました。
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森の駅推進協議会は、日本の森林産業停滞の解決へ向け、
森の駅発で、下記の活動を行っています。ご参照の上お役立て下さい。
1「市民フォーラム」開催:
日本の森と日本の森が産み育てる国産木材、それを活かす健康な住環境をはじめ、
生活者の目線で市民の皆様の理解をすすめる講演会を広範囲な視点から企画開催。
内容や開催日など当メルマガ(下記3)でお知らせします。
2「健康住宅/森の駅発」の活動:
日本の森を元気にする!住む人を元気にする!住まいづくりのため集まった
プロ集団が「森に愛される家」を普及します。イベント情報もお届けします。
https://moriniaisareruie.jimdofree.com/