メルマガ176

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森の駅発メルマガ No.176
2024 April 卯月 卯の花(アジサイ科ウツギ属ウツギの落葉低木)が盛りを迎える月で、ウは植、産、初を暗示。

今年は能登半島の大地震で始まりましたが、4月も8年前の熊本大震災がありました。物的被害
が最大の西原村は毎月の消防訓練で救助訓練も続けていた成果を発揮、公的な支援と救助が最も
遅れていた山奥で、高齢者の過疎地にも関わらず、迅速な相互扶助で死傷者を最少にしました。
備蓄だけが普段の備えではない教訓です。4月の地震を振り返りました。(M=マグニチュード)

昭和43年(1968)日向灘地震 4月1日 9:42 日向灘震源M7.5。
高知県宿毛市と宮崎県延岡市で震度5、高さ3m以上の津波が四国を襲い、愛媛、高知、熊本、大分、宮崎が甚大。
平成23年(2011)宮城県沖地震 4月7日 23:32 宮城県沖震源M7.2。
宮城県栗原市と仙台市宮城野区で震度6強。3月11日東日本大震災の余震。死者4人、負傷者296人。
平成23年(2011)福島県浜通り地震 4月11日 17:16 福島県浜通り震源M7.0。
福島県いわき市と茨城県鉾田市で震度6。東日本大震災関連地震。震源周辺土砂崩れで4人死亡。
平成25年(2013)淡路島地震 4月13日 5:33 淡路島付近震源M6.3。兵庫県淡路市震度6。
1995年阪神・淡路大震災以来の強震。被害は淡路島で負傷者34人、家屋損壊8,000棟以上。
平成28年(2016)熊本地震 4月14・16日 熊本県熊本地方震源。九州初の震度7で同一震源で
震度7を複数回観測した日本初の地震。14日 21:26 M6.5。16日 1:25 M7.3。熊本県益城町と西原村震度7。
14日前震で16日本震。16日以降熊本県阿蘇から大分県中部(別府・由布周辺)も震度6強~震度5弱が広範囲に続く。
益城町、西原村など広範囲で家屋倒壊。南阿蘇村は大規模土砂崩壊、熊本大分両県で死者161人、負傷者2,692人、
家屋被害190,000軒以上。大きな余震が続き、車中で避難生活する被災者の静脈血栓塞栓症(エコノミー症候群)や、
市庁舎の崩壊で司令塔を失った救助活動の混乱と遅滞など地域防災計画の未整備が課題として浮き彫りになる。
昭和50年(1975)大分県中部地震 4月21日 2:35 大分県中部震源M6.4。
大分市と熊本県南阿蘇村で震度4、震源の大分県庄内町(現:由布市)内山地区は家屋が全半壊。負傷22人。
昭和37年(1962)宮城県北部地震 4月30日 11:26 宮城県北部震源M6.5。
盛岡市、水沢市、仙台市、石巻市、新庄市、福島市で震度4、死者3人、負傷276人、家屋損壊27,000棟以上。

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目 次
・山小屋通信「お地蔵さんと木のお堂」大森 明
・<青ヒバの会>「住まいのカタチ8章 - 第4章」市川 皓一
・美術コラム「江戸の植物文化と紅嫌いの窪俊満」戸田 吉彦
・関連情報「森の駅推進協議会 2024 観桜会を4月2日に開催」
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山小屋通信「お地蔵さんと木のお堂」大森 明(森の駅発メルマガ編集・発行)


3月、山はまだ寒いので下界で写生に出かけている。最近描いているのは川崎市多摩区から東京都
稲城市へ至るあたりにある府中街道沿いのお地蔵さんと木のお堂。このあたりを車で通るとお地蔵
さんの納まった木のお堂がポツリポツリと幾つも点在し、以前から気になっていた。イチョウの古木
に寄り添うようなお堂もあれば、ビルに埋もれたようなお堂もある。調べてみると地名をとって
「菅(すげ)の六地蔵」とのこと。木のお堂と古いお地蔵さんがよい雰囲気を醸し出している。

描いてみて、お地蔵さんの姿形が異なっているのに気づいた。合掌しているもの、手に仏具を持って
いるものなど、手の位置やポーズがいろいろだ。
お地蔵さんと同じく、木のお堂もみな構造が異なっていて興味深い。柱・梁・壁などの木の組み方が
異なるだけでなく、屋根の形も切妻だったり、半切妻だったり。窓があるものと窓なしのものもある。
何か意味があるのだろうかと調べてみたが、理由はわからなかった。

そして、どのお堂にも新しいお花が供えてあり、どのお地蔵さんも前掛けとかぶり物をきちっとつけ
ている。毛糸の帽子をかぶっているお地蔵さんもおり、夏は夏物の帽子になるのだろうかと想像した。
いずれにせよ地元の方々がきちっと日常管理をなさっているのであろう。
「菅の六地蔵」は最寄り駅から遠いお地蔵さんもあって、まだ全制覇に至っていないが、夏山登山の
ための足腰鍛錬になると思い、なるべく電車やバスを使わずに徒歩で現地を訪れて描いている。

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<青ヒバの会>「住まいのカタチ8章」 市川 皓一(一級建築士)

「青ヒバの家づくり」 4 回目

第4章 身体感覚で確かめる住まい

 現代の日本は、手垢の付いた古いイメージを持つのか、木造住宅に不自由さや閉塞感を感じて
いる一面があります。しかし、欠点を補うつもりからエンジニアリングウッド等に加工すると、
「木」特有の素材の可能性と長所も失います。今一度「木」の素材特性に立ち帰り、色艶にまで
こだわって見直すと通り一辺の情報で見えなかったものが見えてきます。それを無視することは、
日本の木造建築を支える匠の技さえも衰退させます。匠の技は、「手が記憶する技」だからです。
人の共通感覚として各々の捉える五感が、木造建築の秩序の基礎である、三尺六寸の規矩(人の
行動基準)で仕切られた空間に意味を持たせ、ハレの場のドラマ、日常の場の機能性を作り出し
てきたのです。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚が相当する五感は、人間が本能として持つ基本的
な身体感覚です。木材の特性との関係性から、そのうちの4つを以下に紹介します。

〔視覚環境〕
無垢の木材の仕上げは木目が温かい雰囲気を演出し、何気なく過ごす普段の生活も光学的特徴と
人間の視覚が受ける刺激に関係する。人の眼は可視光線と共に環境を感知するが有害な紫外線も
飛び込む。一例が、冬のスキー場等で起こる雪目(雪に反射した紫外線に目が暴露される障害)
であろう。だが木材に当たった後に反射する光は、紫外線が大幅に取り除かれ、心地よく優しく
感じる。この現象を利用した好ましい雰囲気づくりは、木目を利用したデザインに多い。しかし
表面を塗装し平滑にするとグレア(不快な眩しさ)が生じる。木材には細胞構造に微細な凹凸が
あり、光の乱反射が生まれ、眼精疲労から開放されるが、最近の木造住宅では、木の杢目を白く
塗りつぶす例を頻繁に見る。空間デザインを強調する演出テクニックで、狭小空間を広く見せる
目的に使われる。これは長い間に眼の負荷が大きくなり、外光の反射からくるグレアがストレス
となり、身体のバランス感覚が崩れる。

〔聴覚環境〕 
脳に心地よい超高音を含む音は自然界の音に含まれ、コンクリ―トの部屋に入ると超高音が遮断
されるが、木造家屋では聞こえる。人間が自然な感情を維持するには、鳥が鳴く「チュチュン。
チュチュン」といった超高音の感知が必要で、出来ないと健康上のバランスが崩れる事になり、
コンクリートだけで固められた家ではその要素が多くなる。人の耳には聞こえないとされていた
20kH2を超す高音域も、脳波の変化に影響し、明らかに生理的な効果があることが、数年前に
旧文部省の「都市圏の環境計画の体系化」シンポジウムで発表されている。下図参照。

〔嗅覚環境〕
木材には固有の香りがあり、針葉樹系の木材は香りそのものがストレス緩和になる要素を持つ。
日本の桧や杉には殆どないヒノキチオール(最初台湾ヒノキから発見した命名)が、青ヒバには
大量に含まれる。青ヒバの場合、一度オガ屑にして蒸気で蒸すと、蒸留水と油に分かれたヒノキ
チオールが抽出でき、入浴剤やアロマテラピーの原液として活用される。ラットの動物実験では
図が示す通り、人為的(電気)ショックを与えると、ストレス反応に明らかな違いが出る。


〔触覚環境〕
床などに直接触れる足裏等には、人間の内臓器官と直に結ぶ神経回路の端末が集中し、健康な体
を支えていることが分かって来た近年、都市生活者の癒しのニーズに応えたフットセラピーなど、
マッサージ中心の健康施設が数多くできた。足のくるぶしや土踏まずにはセンサー機能があり、
触覚と共に木の温熱感覚も感知する。これは無垢材に特有のもので、特に青ヒバ、杉、桐などに
顕著で、パーケットフロア(木片の寄せ集めで作る床板)や、欅、楢、桜などの広葉樹にはなく、
温感が快適感につながり、正に「素足が踊る空間」となる。

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美術コラム「江戸の植物文化と紅嫌いの窪俊満(くぼしゅんまん)」戸田 吉彦(一般社団法人日本美術アカデミー理事)


窪俊満 1788 木版画 画題は「夜が近づく京香の家」(アムステルダム国立美術館)「夜景 塀の内外」(大英博物館)と不定。

 葉桜揺れる下を行く男女六人の楽しそうな会話が聞こえてきそうな絵です。黒塀の右隅では、
門扉を開け届いた肴に灯をかざし確かめる女達も見える賑やかな宵の口です。二階では明かりを
灯した集会が見えます。本を開き前を見て座るは医者か学者か、何か講話をしているようです。
草木の葉を手に座る女は、隣で裃姿の侍が開く本を覗き、別の羽織姿の男は先生の答えを待つ
面持ちで前を見ています。筆や短冊がないので、俳句や狂歌の会ではありません。無題ですから
確かな事は言えませんが、三枚続く大判浮世絵版画は、欲しい人が多数いると見込んで作られた
に違いなく、二階で開かれているこの集会が何かは、当時はすぐ分かったのでしょう。

 派手な浮世絵には珍しい、上品な浮世絵「紅嫌い」の鳥文斎栄之を先述しましたが、天災から
餓死者も出た「天明の飢饉」(1782-88)、華美と贅沢を禁じた「寛政の改革」(1787-93)の時代
に現れたもう一人の「紅嫌い」が、植物が好きな文人絵師、窪俊満(1757-1820)です。そもそも
自然に恵まれた日本では、身の回りの植物への関心は江戸時代の方が今より高く、何事も熱心に
なる民族性か、図鑑や園芸実用書もバラエティに富み、著者も学者だけでなく様々でした。

植木屋の 花売れぬ間に 盛(さかり)かな 几董(高井几董・たかいきとう・1741-1789・蕪村の高弟)

 江戸時代の植栽ブームは昨年広重の絵で触れました(7月、8月)が、国立国会図書館が主催した
『描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌』展(2005)によれば、明国の医師李時珍(1518~93)が
執筆した『本草綱目』を、儒学者の林羅山が薬草好きの家康に献上。それを『大和本草』『花譜』
『菜譜』を著した儒学者貝原益軒(1630~1714)が校訂、和刻した頃に始まったようです。益軒の 
友人の漢学者稲生若水(いのうじゃくすい・1655~1715)が動植物記録(『庶物類纂』全一千巻)を始め
弟子の丹羽正伯(1691~1756)が完成。吉宗(1684~1751)は正伯に全国産物調査を命じました。
同じ弟子の松岡玄達(1668~1769)は、図解本『用薬須知』『食療正要』『桜品』を記し、玄達の
門下から関西初の薬品会を開き絵入目録を出した戸田旭山(1696~1796)と、幕府医学館の講義録
『本草綱目啓蒙』や草木図鑑『花彙』を著し門人が全国に千人以上いた小野蘭山(1729~1810)が
登場。蘭山の弟子がシーボルトと交流した水谷豊文(1779~1833)です。豊文の弟子の伊藤圭介
(1803~1901)は日本初の理学博士となり、世界が驚く発見をする明治以降の植物学へ続きます。

 有名な町奉行の大岡越前守も物産担当者の時、サツマイモ栽培の青木昆陽を見出したように、
吉宗は人材活用に長け、オランダにも馬や馬丁、乳牛を要請して洋式畜産も関心を示しました。
これらは度々起きた災害と飢饉の対策で、各藩に薬品、物産の自給を命じ各地で特産物を育てる
意識を育て、経済活性化策では飛鳥山や墨田堤に桜を植えて、庶民に花見を奨励しています。
桜といえばソメイヨシノ発祥で有名な染井村(今の駒込一帯)に植木屋が集まり、園芸が栄えます。
中でも伊藤伊兵衛家は、父の三之氶による『錦繍枕(長生花林抄)』『花壇地錦抄』『草花絵前集』、
子の政武(1667~1739)の『地錦抄』三部作や、図説集大成の稿本『本草花蒔絵』により、染井
の植木屋父子として、江戸時代の最も著名な植木屋になります。(ソメイヨシノの普及は明治以降。)

 こうして薬草に始まった植物学は専門家を生み、各階層からアマチュアの研究家が輩出され、
平賀源内の師で江戸博物学の祖、田村藍水(たむららんすい・1718~76)や、全国の博物家の藩主や
蘭学者と親しい大阪の豪商、木村蒹葭堂 (きむらけんかどう・1736~1802)が登場。江戸時代の後期
は同好会も発生、会読や研究会、蔵書の貸借など知識や見聞の交換が頻繁に行われ、師弟関係・
同門・同好会を超えた交流も盛んになり、文献の実物を確かめる、各種物産会も開催されます。
以上は国立国会図書館『描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌展』から一部を引用しました。

 芸術面は季節の花を詠む俳句と、浮世絵花鳥画が興味と人口の裾野を広げるこの時代の、象徴
的な絵入り書籍が、俳人の谷素外と浮世絵師の北尾重政による、俳人向け例句集、『俳諧名知折
(はいかいなのしおり』です(下図)。左頁に載る午時花の例句の末尾の紫蘭は、可憐な紫の花の名前
から取った窪俊満の俳号です。当時、素外主宰の談林派に属し俳句を作っていた俊満は北尾重政
に入門し沢山の浮世絵を残します。数多い浮世絵師の中で、文芸に注力貢献した代表が重政です。

↑『俳諧名知折』谷素外(1717-1809)編 北尾重政(1739-1820)画 1781刊 2冊 国立国会図書館蔵 
右頁に「綿の花」と「午時花(ゴジカ)」の図、左頁に例句。所収数全162品、描写は的確で例句も各品にある。
紅毛も めづらん花の 江戸桜 いりあひをしむ 石町の鐘 俊満(『新撰狂歌百人一首』掲載・1809)
 窪俊満は代々堺屋を名乗る塗師の窪田家に生まれ(日本橋通塩町)、祖父の窪田政春が建部綾足
(たけべあやたり・1719-1774・俳人・画家)に師事した影響か、俳号は紫蘭と塩辛坊、戯作号は南陀伽
紫蘭と黄山堂、狂歌号は一節千杖、画号は春満(俊満)と、広範な文芸に携わりますが、大田南畝
(おおたなんぽ・1749-1823・狂歌師)が、「はじめ魚彦の門に入て、蘭竹梅菊の四君を学ぶ、のち浮
世絵を北尾重政花藍に学ぶ」(『一話一言』)と述べたように絵師として大成します。魚彦とは賀茂
真淵(1697-1769)の四天王、楫取魚彦(かとりなひこ・1723-1782・歌人・画家)、四君とは春の蘭、
夏の竹、秋の菊、冬の梅を、四君子に例えて描く画法習得です。勝川春章門下の誤解を避け、魚彦
没後に春満を俊満に変えただけで、北尾派の画号が無いのは重政が魚彦へ示した礼儀でしょう。
 小林忠先生は重政を「政美、政演(戯作者としては山東京伝)、窪俊満らの優れた門人を育て、北尾
派という一派を興した浮世絵界の大御所であった。(中略)大田南畝はその著『浮世絵類考』で、
「近年の名人なり、重政歿してより浮世絵の風鄙(いや)しくなりたり」と、その画風が品格を備
えていたことを貴く偲んでいる」と紹介されます。なお重政と春章は合作も多く親しい関係です。
俊満より3歳若い北斎は、画号春朗で春章の門下におり、重政も俊満も知っていたと思います。
200年以上昔の封建社会の時代、仕事でなく純粋に芸術と学問を愛し花を愛でて生きた俊満は、
紛れもなくディレッタント(芸術愛好家)であり、ナチュラリスト(自然愛好者)だったと言えます。


窪俊満画「木蓮花と辛夷」霞連狂歌摺物「小塩山持 さわらひは何およふましうらゝかさ五日の風にこふしひらけり」
1804-14年制作 版元 西村屋与八(拡大すると空押しのコブシの花の形が分かります)メトロポリタン美術館蔵


窪俊満画「春の野・菜の花摘」横長版摺物 18.6x50,6cm 1800年頃制作 ボストン博物館・大英博物館ほか所蔵
*参考文献:小林忠『浮世絵』山川出版社/田中達也 「窪俊満の研究1.2.3 」雑誌浮世絵芸術掲載/国立国会図書館
『描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌』https://www.ndl.go.jp/nature/utility/aim.html
*前号の訂正:① 5000石→500石 ② 家斉のフリガナ/いえあき→いえなり 以上の誤写をお詫び訂正致します。

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関連情報:森の駅推進協議会は4月2日(火)に飛鳥山で幹事中心の観桜会を予定しています。
参加希望の方は前日の18時迄にメールでご連絡下さい(宛先:TodayofMus@icloud.com)。
集合時間と場所をお知らせします。小雨決行。荒天時は延期と振替日をメールでお伝えします。

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森の駅推進協議会は、日本の森林産業停滞の解決へ向け、
森の駅発で、下記の活動を行っています。ご参照の上お役立て下さい。
1「市民フォーラム」開催:
日本の森と日本の森が産み育てる国産木材、それを活かす健康な住環境をはじめ、
生活者の目線で市民の皆様の理解をすすめる講演会を広範囲な視点から企画開催。
内容や開催日など当メルマガ(下記3)でお知らせします。

2「健康住宅/森の駅発」の活動:
日本の森を元気にする!住む人を元気にする!住まいづくりのため集まった
プロ集団が「森に愛される家」を普及します。イベント情報もお届けします。
https://moriniaisareruie.jimdofree.com/

3「メールマガジン/「森の駅発」メルマガ」発行:
フォーラムや研究会のお知らせを、原則として毎月1回発行しています。
このメールマガジンのお問合せはこちらまで:happysun9@gmail.com

4 メルマガ・バックナンバー:
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