メルマガ174

このたびの震災によりお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また関係者の皆様の安全と被災地の一日
も早い復興を心よりお祈り申し上げます。森の駅推進協議会一同

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森の駅発メルマガ No.174
2024 February 如月 古代中国 の2月の別名「如月」に大和言葉の衣更着(きさらぎ・重ね着)の読み方をあてました。
今年は閏年(うるうどし)なので 2月は 29日が最終日です。古代暦にも別の調整法がありましたが混乱の末、
現在のユリウス暦に変えたのがユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)でした(国立天文台 Q&A ウェブサイト
参照 https://www.nao.ac.jp/faq/a0308.html )。閏年の催事がオリンピック(2024パリ)と米国の大統領選挙です。
今年日本では元日に能登半島を M 7.6の大地震が襲い、被災者の救助・支援・経済復興が続いていますが、
4年前の 2020年は新型コロナウイルスが猛威を奮い、1月に中国が新型コロナウイルスを認定後、感染拡大
ペースの勢いの前に(12月に世界の感染者数 8千万人)、遂に2020東京オリンピックは翌年に持ち越されました。
毎年天災はありますが、 2016年は熊本城が崩れた数日間の熊本大地震(最大M7.3)、2012年はインドネシア
スマトラ島沖大地震(M8.6)、米国N.Y.証券取引所を2日停めた東海岸ハリケーン・サンディ、2008年は国連
国際防災戦略が自然災害の世界最大経済損失とした新潟県中越沖地震(2007)に続き、6月の岩手宮城内陸
地震(M7.2)、中国は5月の四川大地震(M8・4万人死亡)等、閏年だけでも多くの天災が思い浮かびます。
環境保護面では、 2008年1月1日に温室効果ガス削減を義務付ける京都議定書(1997年末採択2005年2月発効)が
始まり、2012年12月が目標期限でした。2020年はフランスが元日から使い捨てプラスチック製カップ・皿
を禁止、パラオは日焼け止め製品の輸入・販売・持込みを禁止し他国に影響を与えます。2020年は日本提案
の「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」がユネスコ第15回政府間委員会で無形文化
遺産登録決議となり、日本の木造建築技術が世界から注目されました。辛抱と工夫を続けた先人の、「災い
転じて福となす」という諺を励みとし、旧正月の今月あらためて、ご多幸とご活躍を祈念致します。

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目 次
・山小屋通信「八ヶ岳の姿」大森 明
・<青ヒバの会>「住まいのカタチ8章 - 第2章」市川 皓一
・美術コラム「狩野探幽『雪中梅竹遊禽図』」戸田 吉彦
・関連情報「新刊書『なぜかいじめに巻き込まれる子どもたち』川上敬次郎」

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山小屋通信「八ヶ岳の姿」大森 明(森の駅発メルマガ編集・発行)

冬は山に行かないのだが、山の話題を1つご紹介したい。両親が若い頃に八ヶ岳山麓に暮らして
いた縁で、八ヶ岳(山梨県~長野県)は馴染み深く、よく訪れる山だ。名前は八ヶ岳だが、峰は
主なものだけでも八つ以上ある。その峰々の集合体を八ヶ岳という。民話の世界の話だが、その
むかし甲府盆地を挟んで向き合うようにそびえる富士山と八ヶ岳が、背比べをしたら八ヶ岳の方
が高いことがわかり、富士山の神様が怒って八ヶ岳の頭を叩き割ってしまった。このため八ヶ岳
は現在のような、たくさんの峰に分かれた山容になったと聞いたことがある。
そんな八ヶ岳は麓から眺める分には、なだらかな裾野が広がっていることもあり、優美な山の印
象も受けるが、登ってみるとゴツゴツした溶岩、切り立った岩嶺、パックリと口を開けた噴火口
があり、その荒々しさにびっくりする。噴火で山が吹っ飛んだり、崩れたように見える部分もあ
り、本来は富士山を凌ぐくらいの高い山だったものが、噴火などで崩壊した結果、現在の山容に
なったという解釈も成り立つように思えてくる。八ヶ岳の尾根道を歩きながらこういう想像をする
のも楽しい。
ちなみに当方は八ヶ岳最高峰の赤岳(標高2899m)をはじめ、主な峰には登っているが、山容が
変化に富んだ八ヶ岳は絵の題材としても魅力的だ。登山の限られた時間にささっと山の上で
スケッチをし、下山後にゆっくり絵を完成させることが多い。
その作品画像を今回掲載したので、登山道をよじ登って間近で見た、八ヶ岳のギザギザの山容を
ご覧いただきたい。併せて、ゆったり広々とした八ヶ岳山麓から描いた八ヶ岳の絵も掲載した。
八ヶ岳のその昔の姿を想像しながらご覧頂ければ嬉しい。



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<青ヒバの会>「住まいのカタチ8章」 市川 皓一(一級建築士)

「青ヒバの家づくり」についての2回目、前号の「モデルハウスをつくる 」の続きです。

第2章 住まいづくりネットワーク=オール国産材の家
① 健康住宅の実例

 前回述べた経緯と構想で始まった「青ヒバの家」は、居住空間を構成する柱、梁、板材など、
部位・部材そのものを、産地とネットワークを通して共同開発し、架構法を研究して、新感覚の
スタイルも加え、100年続く住宅になる、これぞ住まいづくりの一大テーマだと気付きました。
生産者の顔が見えると言いますが、直接注文のプロセスは流通に革新を起こす大切な手段です。
 天然林の採材にユーザーの想いを重ね、現地の丸太切り、製材、乾燥過程での制約、消費地へ
の搬出方法、工事現場の架工組立で、無理や無駄のない部材にする指示に一貫性を持たせる事、
家全体のコストから省力化を図る事、これらの全ては建築家の情報伝達能力に掛かっています。
そこで「青ヒバの家」が理想とするプロトタイプのプランコンセプトを、幾度も試作しました。
住み手が最初にする発注が、産地へ直接繋がる素材のワンストップサービスを可能にし、初めて
住み手と山林が共に喜ぶウインウインの関係が出来ると、手掛かりと道筋が見えてきました。
 一方、家族や個人のライフスタイルは多様性をきわめ、住宅の形態は、戸建て、マンション、
長屋等々、それぞれに空間特性があり、技法、工法によって異なります。しかしやはり天然素材
として青森ヒバの特性を生かすには、戸建てが前提の、ファミリールーム第一の提案にしたいと
考えました。〇〇DKといったプロトタイプを追及することには意味がなく、むしろ、抗菌性に
顕著に表れている青ヒバの素材性能は、家具化出来るものを除き、耐久性がある戸建ての大屋根
の下に展開するライフスタイルでこそ生き、住環境の様々な変化も楽しめます。構造を目に見える
カタチに反映し、骨格と内部意匠(スケルトン&インフル)の役割を担わせる素材の露出は、個性
を生かすことにもなります。産地直送住宅ならではの醍醐味をカタチにしようと決心しました。


② 流通ロスをなくすワンストップサービス
 近年とみに高気密化が進んでいる住宅事情を考慮すると、一概にプロトタイプ化するよりも、
「青ヒバ」のファンとなった人の五感の覚醒を促し、オール国産材で造る健康住宅にすれば、
住む人の希望をカタチに出来るのです。実績として実際に造られた実例をひとつご紹介します。
H邸は近年の家づくりで使われる外材(輸入材)を使わず、全て国産材で建てられた住まいです。
「より安全で、健康に良い住まいをと探し求めたら、産地が確かな国産材をふんだんに使った家
づくりに行き着きました」という奥様の言葉通り、H邸は青森の国有林から計画的に伐り出される
青ヒバをはじめ岩手から直送されるアカマツとスギ、カラマツなど産地直送の “安心できる木” が
惜しみなく使われています。国産材を使うと一般的にコストが高くなりがちですが、地域の生産
者と家づくり希望者を結ぶネットワークを、「青ヒバの会」がリーズナブルに実現しました。
国産材の家づくりは人の手が入らなくなり荒廃が進む日本の山林を活性化し、また木材の輸送に
要するエネルギーを削減します。「自分たちの家を建てることで環境に貢献できるのはうれしい
ことですね」とご主人も社会的な見地を交えた満足を語って下さいました。


 <青ヒバの会>の住まいづくりは、次の事柄を念頭にした、住む人と建築家のリレーです。
住み手の暮らし方、住まいの理想を実現するために幾度もコミュニケーションを重ねます。
そこには重要な敷地の検分も含まれます。特に地震対策で、地形の成り立ちまで調べます。
あらゆる角度から検討し、その上で間取りを提案します。屋外デッキ、小屋裏、半地下など
立体的でオリジナルな空間構成も含めて検討し、同時に予算の検討も重ねていきます。
コストの管理は、高額になる住まいづくりで最も重要な事項です。青ヒバの会は、コスト削減
のためにあらゆる努力をして来ました。青ヒバを始め家の骨格となる構造材は全て国産材100%、
産地直送価格が原則です。市場価格より20~30%減額は、国産材は高額と思い込んでいる方々に
衝撃的だったと思います。(つづく) 

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美術コラム「狩野探幽『雪中梅竹遊禽図』」
戸田 吉彦(一般社団法人日本美術アカデミー理事)


狩野探幽『雪中梅竹遊禽図襖』名古屋城上洛殿三之間 北側四面 紙本淡彩金泥引(各縦191.3 x 横135.7cm)1634 重要文化財
(右から2枚目の襖は枝の下に鳥の尾が見えますが、上は何らかの理由で地紙を貼り直した跡があり鳥の姿が消えています)

颯爽たる切れ味(小林忠著『日本水墨画全史』「狩野探幽」より)
 雪晴れの朝であろうか、白梅の枯れた枝に数羽の雀が休み、その上方へ一羽が戯れ遊ぶように
飛び上がっている。白い花をつける若い枝の下には、やわらかな雪をふんわりと積もらせてたわ
む竹の二、三本が見える。うす墨と金泥による外隈、紙の白さに積雪の状を語らせ、濃淡の変化
も歯切れがいい墨の、躊躇するところない鮮やかな筆致が、中心的なモティーフを明晰に浮かび
上がらせる。その颯爽とした切れ味の良さこそが、上下を問わぬ武士一般の嗜好によく合致した
のであろう。探幽こそは江戸時代随一の筆墨技巧の達人と信じているが、軍事にたずさわる武士
は本来技術の信奉者であり、愛好者でもあるものだから、その探幽指導下に練磨された狩野派の
筆力に彼らの支持が寄せられたことは、理解しやすいところであろう。
 本図を含めて全十八画の襖からなる四季花鳥図は、三代将軍家光が京へ上る途次の宿舎として
建てられた名古屋城上洛殿の三之間に、水墨で描かれたものである。時に寛永十一年(1634)、
探幽は数え年三十三歳の壮年期に当たっていた。

〈狩野探幽・略伝〉
狩野探幽(1602-74)は、江戸時代最大の巨匠である。狩野派の画風をいちじるしく和様化させ、
そのいわゆる江戸狩野様式が、時代を通じて絵画界全般に濃厚な影響を及ぼすことになる。
また、幕府と諸藩の御用絵師の座が狩野派によってほぼ独占される体制の基礎を固めた。
永徳の次男孝信の長子として生まれ、従兄である宗家の貞信が元和九年(1623)に早逝して以後
は、実質的に狩野派を代表する存在となる。それより早く、すでに数え年十六歳の元和三年に
徳川幕府の御用絵師となり、後に鍛冶橋門外に屋敷地を拝領して、別家独立した。父孝信の跡は
次男の尚信に、宗家貞信の跡は末弟の安信に、それぞれ継がせている。
名は初め采女(うねめ)のち守信(もりのぶ)、寛永十二年(1635)江月宗玩と図らい探幽斎と号し、
寛文二年(1662)には宮内卿法印に叙せられる誉れを得た。江戸城や日光、芝、上野の徳川家霊廟
など、将軍に直接関わりのある絵画御用はもとより、二条城(1626)、名古屋城上洛殿(1634)、
大徳寺本坊方丈(1641)をはじめとする城郭、寺院、そして京都御所などの記念的な建築の障壁画
制作に、一門の画家を率いて従事した。晩年は古画の縮図(探幽縮図)や即物写生に努め、後進に
率先、範を示している。延宝2年(1674)十月七日、享年七十三歳で没した。
(同じく、小林忠著『日本水墨画全史』「狩野探幽」より)

 冒頭に小林忠先生の文章で紹介の探幽は、略伝から分かる通り先月紹介の永徳(1543-1590)の
孫に当たります。狩野派は始祖の狩野正信(1434-1530)が、当時開花した侘び寂びの東山文化に
相応しい水墨画に優れ、足利義政(1436-90)に召し出されて始まりました。大和絵を吸収しつつ
武家文化の精華として江戸幕府終焉まで栄え、その真髄を最も表すのが狩野派最高峰と謳われた
江戸時代最大の巨匠、探幽です。探幽の名は武家文化消滅の現在も輝き、碩学が著書に取り上げ、
生涯の研究テーマとする学者が後を絶ちません。此処で限られた字数の紹介は、省略から誤解を
招きかねず、小林忠先生のご著書から探幽の代表作『雪中梅竹遊禽図』 の簡潔で正確な解説と、
作者略歴を引用させて頂き、狩野派特有の専門用語の解説と最後に参考文献を記した次第です。
探幽は幼い時に永徳の再来と喜ばれるほどの画才を発揮しますが、成長後の探幽の絵は明らかに
それまでと違い、簡潔で余白を大きく取りながら巧みに画面をまとめた絵は近代的な感性です。
筆者も構図に興味を持ち続けて長く、『北斎のデザイン』で「三分割構図」を紹介しましたが、
他の絵にもあるのかと時々尋ねられます。此処では狩野探幽の傑作に、「三分割構図」の法則が
果たして見いだせるのか、試した結果を文末に加えましたので、ご笑覧頂ければ幸いです。

 狩野派に頻出する「御用絵師」とは、幕府に召し抱えられた絵師で、江戸時代の紳士録の武鑑
に「御絵師」(おんえし)と記され、その仕事の「絵画御用」は、江戸城や将軍家霊廟の障壁画、
海外使者への贈答画、臣下へ下賜する掛軸や屏風、記録画の制作です。また将軍家の絵画教育や
絵画鑑定にも携わり、18世紀後半は狩野姓が16、住吉と板谷が各1の18家、それぞれの当主と、
部屋住(へやずみ)を合わせて20人程いたそうです。狩野家は数が多く、屋敷の地名を頭につけ、
探幽に始まる家を鍛冶橋狩野家、探幽の末弟安信が継いだ宗家を中橋狩野家などと区別します。
探幽と兄弟は十代将軍家治(在職1737 - 1786)の時世までに、鍛冶橋、木挽町、中橋に江戸屋敷を
拝領して「奥絵師」と呼ばれる旗本格の筆頭家に、四代将軍家綱(在職1651 - 1680)の時に駿河台
狩野家、続いて山下町狩野家ら含め十数家が江戸屋敷を拝領、「表絵師」と呼ばれる御家人同様
の位になります。しかし御用絵師に明文化された条件や資格はなく、狩野派が多いからと住吉家
を登用した五代将軍綱吉もいれば、将軍になると身辺を自分の臣下で固める中、自分の御用絵師
の狩野岑信(みねのぶ・探幽の次弟である木挽町狩野尚信の孫)にも江戸屋敷(浜町狩野家)を与え、奥絵師
とした六代将軍家宣もおり、御用絵師の世界にも波風があり各家に栄枯盛衰がありました。

 格が高い江戸城や霊廟の障壁画は奥絵師や表絵師の仕事ですが、先祖が制作をした家が修理を
担うのが原則で、そのような仕事は将軍に御目見(おめみえ)していなければ下らず、先祖代々、
御目見と幕府の仕事を繰り返して家が続きます。若いうちから腕がよく機転もきき、将来有望と
見込めば部屋住の内に御目見し、誉ある仕事に呼ばれて大きな仕事も任されますが、一方御目見
ないまま目立たぬ仕事で終わる御用絵師も、幕府からの給付が不安定な家もあります。しかし、
将軍の威光を表す視覚的演出を担い、江戸城に勤める身分に変わりなく、文書には全て御絵師と
記されます。蒔絵博物館によれば、同様の身分は御絵師の他に、金座を預かる後藤家、刀剣鑑定
の本阿弥家、蒔絵師の幸阿弥家、装束を預かる呉服師があります。諸画工と呼ばれる彼らには、
登城に駕籠の使用を許されるなど数々の特別待遇があったそうです。

 諸画工には本来役職体系がなく、年始、五節句、八朔など、大名や旗本と共に将軍御目見の際
には席次に配慮し、探幽のような名人には医師や僧侶の役職を用い位を与える慣しは江戸時代前
からありました。探幽が叙せられた「法印」は正式には法印大和尚位僧正という僧侶最上位と言
い、次が法眼(ほうげん)和尚僧都(そうず)、その次が法橋上人(ほっきょうしょうにん)位律師です。
御用絵師に限らず例えば長谷川等伯は「法眼」、町絵師俵屋宗達は「法橋」に叙せられています。

 さて「雪中梅竹遊禽図」の構図ですが、探幽の絵は大きな余白の活用と画面内に巧みに収める

構図に特徴があり、同様の事は北斎の『冨嶽三十六景』の傑作にも言われ、さらに北斎が説いた
図法の「三ツ割の法」は、古来東西の名画に数多くみられる「三分割構図法」と同じ構図です。
探幽と北斎は150年以上隔たりがありますが、北斎が狩野派へ学びに行ったことが勝川派に居ら
れなくなった原因という噂もあり、この構図法が天賦の才と修練で見出された共通法則なのか、
人から人へ伝えられた秘伝なのか、いずれにせよ優れた絵の共通原理と世界中が認めています。
また襖の地紙の貼り合わせは、大きな枡目が並ぶ方眼となる訳ですが、三等分線と合致するよう
に見えることも今回解析に臨むきっかけになりました。以下、考察順に番号を付けています。


① 全画面の縦横3等分と、襖4枚が作る4等分の最小公倍数は12等分割(上図の周囲参照)。
② 画面縦横3等分線を太い白、縦横12等分線とそこから導く対角線を細い白で表示する。
③ 松の根は縦12等分線上、横3等分の右の1/2の線と、右襖2枚の間(4等分線)の間から出現。
④ その幹は縦3等分線(下)と、画面中心線の間で左へ向きを変え、龍が昇るように上昇する。 
⑤ 幹は横3等分線(右)に沿い上昇、縦3等分線(上)とその1/2の線付近で左下へ枝を伸ばす。
⑥ 右端から左隣の襖に移り上昇する松の幹は、3枚目の襖へ伸びる枝も含め対角線の上にある。
⑦ 左端の襖に松はなく、尾の長い鳥が飛び、その頭は横3等分線(左)の1/2の線上にある。
⑧ 飛翔する鳥は、画面中心線頂点から、最初の縦12等分線左端へ向かう対角線の上にある。
⑨ 松の描写は右襖2枚に集中、左襖2枚の大胆な余白との対比がダイナミックな魅力をなす。
⑩ 左右非対称はバランスをとるのが難しい構図で、画面全体に動きがあり安定感ある構図を
  求めて画面分割と比例を研究する西洋には、ダイナミック・シンメトリーの命名があった。

 これが現代の画家のように、最初に構図を決める予備線を画面に引いて検討した成果なのか、
直感からの傑作かは分からず、規則正しい地紙貼りの方眼に無意識に導かれたかも知れません。
しかし先に具体的イメージが絵師になければ、画面分割線が絵を生む訳でもなく、構図の法則が
感動を生む訳でもないことは、勘違いして落胆する気の早い学生を見てきた経験上、蛇足ながら
付記しなければなりません。また絵の魅力となる筆勢も描きたいイメージがなければ衰えます。

 そして探幽が晩年に写生図を多く残したことも、触れなければと思い起こしました。円山応挙
や伊藤若冲の写生も見事ですが、それより早い時期に描かれた探幽の写生図は最近まで日本最古
とされました。しかし古さより、実際に見ればあたかも今描かれたように瑞々しく、江戸時代の
技法や画材の違いを超えた美しさに驚きます。この写生図をお手本として写す機会を得た門下生
の幸せと誇りはいかばかりだったかと想像します。師の絵を手本とする指導法の狩野派は、古式
蒼然とした形式主義と言われますが、どの世界の巨匠も先人の優れた作品から学び始めた以上、
是非の議論は詮無く、要は芸術に携わる者に不可欠な感動と素直な感受性です。生前から最高峰
と認められ狩野派の目指す高みと崇められた、探幽が晩年に残した美しい写生図が、一派の結束
と無縁であろう筈も無く、師の絵の真似もまた高みに到達したいと願うそれぞれの自発的な学び
だった筈です。また徳川家同様血縁中心の階層構造集団でありながら、優れた弟子に狩野家から
狩野姓を授けてきたことも、絵師のあるべき姿に従ったと思えば不思議でなく思えてきます。


狩野探幽『草花写生図巻』紙本着色巻子(5巻のうち1巻・部分)26.9×987.8cm 17世紀 東京国立博物館所蔵

参考文献:小林忠著『日本水墨画全史』講談社/錦織亮介著『狩野探幽《獺図》再考』福岡市美術館/
加藤弘子著『狩野探幽筆「草花写生図巻」』美術史学会/尾本師子著『江戸幕府御絵師の身分と格式』学習院大学/
寺本健三著『狩野尚信の画業から見た江戸狩野成立の研究』京都繊維工科大学/筆者著『北斎のデザイン』翔泳社/
Jay Hambidge『THE ELEMMENTS OF DYNAMIC SYMMETRY』Dover Publications Inc. New York /
Kimberly Elam『GEOMETRY OF DESIGN』Princeton Architectural Preess New York

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関連情報
「農法問題」「ナラ枯れ問題」の川上氏が取り上げる「子供のいじめ問題」
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より、「いじめで苦しむ子どもたちが一人でも減るよう、予防対策を考えました。ぜひお手に
とってご一読ください。」と、新刊書『なぜかいじめに巻き込まれる子どもたち』(ポプラ新書)
を刊行された報告がありました。https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/884081?display=1
毎日新聞書評:https://mainichi.jp/articles/20240113/ddm/015/070/029000c
昔から子供は大人の鏡と言われます。未成年犯罪となるいじめが目につく昨今、何がいじめなの
かを知り、大人となった者は普段からどう振る舞うべきか、考えながら読みたい一冊です。

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森の駅推進協議会は、日本の森林産業停滞の解決へ向け、
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内容や開催日など当メルマガ(下記3)でお知らせします。

2「健康住宅/森の駅発」の活動:
日本の森を元気にする!住む人を元気にする!住まいづくりのため集まった
プロ集団が「森に愛される家」を普及します。イベント情報もお届けします。
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