メルマガ170

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森の駅発メルマガ No.170
2023 October 神無月 全国の神が出雲に行き留守にする説が有名ですが、本来「神な月」は神の月の意味です。
10月08日 寒露(かんろ)冷たい露の意味であり露が冷たく感じられる時季を指し、農作物の収穫も盛んとなります。
10月24日 霜降(そうこう)早朝に霜が降りる頃を指し、転じて牛肉に脂肪が混じる様は霜降りと呼んでいます。
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目 次
・山小屋通信「木で作るおもちゃのケーキ」大森 明
・美術コラム「酒井抱一の秋の情景」戸田 吉彦
・開発製品の紹介「森の恵 : 耐震健康シェルター 命守」市川 皓一

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山小屋通信「木で作るおもちゃのケーキ」大森 明(森の駅発メルマガ編集・発行)



遊びにくる幼児たちのため、ままごと用のおもちゃのケーキを木で作った。
ロールケーキはすでにたくさん作っているので、木でイチゴケーキ、チョコレートケーキ、そしてチーズ
ケーキを作ることにした。ままごと遊びがしやすいように、カットされた状態のケーキを子供の手のひら
に乗るくらいの小型サイズで作った。
ケーキ本体部分は手頃な大きさの建築用角材の端材が手元にあったので、それを活用した。建築端材も
「捨てればゴミ、使えば資源」というわけだ。部品(イチゴ、トッピング用チョコレート)も木で作った。
そこにちょうど仲良しの少女が遊びに来たので、イチゴケーキとチョコレートケーキの色塗りを任せてみ
ると、画像のとおりなかなかよい感じに絵具を塗ってくれた。美味しそうなケーキになった。
年長者の私も負けてはならじと、チーズケーキは当方が絵具を塗った。木目が目立つとバームクーヘンの
ようになってしまうと思い、絵具を濃いめにして2度塗りしたチーズケーキ2種が画像の通りできあがった。
今回、小さな色塗り担当者はケーキの出来映えが気に入ったらしく、自分の色塗りしたケーキをうれしそう
に持って帰っていった。

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美術コラム「酒井抱一の秋の情景」戸田 吉彦(一般社団法人日本美術アカデミー理事)



左:柿図屏風 二曲一隻 メトロポリタン美術館蔵 右:秋草鶉図屏風 二曲一隻 山種美術館蔵 Pablic domaine

 先月、鈴木其一の師として紹介した酒井抱一 (1761–1828) は、北斎(1760–1849) より一つ年下の
江戸後期琳派の絵師です。一世紀前の尾形光琳 (1658–1716) を慕い、寂れていた光琳の墓を修復、
光琳の百回忌法要 (1815) を開き、展覧会(遺墨展)も開催しました。また光琳の絵を模写した図録
『光琳百図』まで自費で出版 ( 墨一色木版印刷/1815年2巻・追補 1826年2巻/各 26.4 × 18.3 × 2.5 cm )
します。これが後に重要な意味を持ちます。そもそも日本の技術や芸の継承は、師から直接教わる
直伝ですが、琳派は師の作品を師の死後に真似る独学(私淑)で今に伝わります。しかし故人と
なり時を経た師の作品はあちこちに散在し後世の者が多くを見て学ぶことは難しく、抱一が模写
した光琳の絵の集大成『光琳百図』は琳派を学ぶ者の心強い存在になります。また抱一は光琳の
系図、略歴、落款をまとめ、琳派を一流派とした『尾形流略印譜』も編纂しました。作画と並び
資料を作り体系付ける者がいなければ、恐らく琳派は歴史の闇に埋もれたでしょう。様式創始の
宗達、その100年後に大活躍した光琳、そしてさらにその100年後に抱一が果たした大業です。

格式を重んじる大名家に生まれ、江戸の都市文化を吸収した青年期の抱一
 このような絵画と学芸双方に渡る抱一の教養と見識は、一体どこから来ているのでしょうか。
抱一は姫路城主酒井雅楽頭(うたのかみ)の次男として誕生しました(本名:酒井忠因・ただなお)。
酒井家は江戸幕府を樹立した徳川家康譜代の四天王の一人で、大老・老中を出す名門大名です。
雅楽頭は平安時代に政を行った宮中で雅楽や歌舞をまとめる役職名を由来とし、酒井家は多くの
文化人を迎え入れ、光琳も江戸滞在の期間中は酒井家の世話になったことがありました。大手町
の酒井家上屋敷も、抱一が育った神田小川町の屋敷にも、光琳の名画はあったでしょう。そうで
なければいくら絵を借りても百図に及ぶ展覧会を開くことは出来ません。しかし抱一が幼少期の
頃には光琳はすでにこの世になく、武家の嗜みで狩野派の画法を習いました。またかつて家光が
清に要請して来日した、沈南蘋(しんなんぴん)の中国花鳥画も宋紫石から習っています。南蘋派は
応挙や若冲も学んだ写実画で、雪舟を画聖とする狩野派と共に当時のアカデミックな画法です。
こうした教育は雅楽頭酒井家に相応しく、兄の十五代当主忠以(ただざね・1756-1790)も、絵画、
茶道、能、俳諧に優れた活躍をしていますが、抱一もまた当主に予期せざる事があった時のため
同じ英才教育を受けたわけです。

 しかし抱一が元服の年(1777)に兄の嫡子忠道が誕生し、周囲の関心は酒井家の次の主へ移り、
多感な年頃の抱一の心は、反抗するかのように町衆文化の狂歌や美人画に向かいます。尻焼猿人
(しりやけのさるんど→落ち着かない人)や屠龍(とりょう→架空の霊獣を倒す無駄な努力)など、奇抜な号で
作品を発表していますが、こうした名門の貴公子の行動は吉原で大変持て囃されました。しかし
やがて各地で飢饉が起きると幕府は寛政の改革(1787-93)で贅沢を戒め、今迄抱一を温かい目で
見守っていた兄も若くして亡くなり、幼君を戴くことになった姫路藩の中では緊張が走ります。
抱一も気儘な日を送るわけには行かず27歳で出家し僧侶となりました(1797)。そしてそこから
抱一の本当の活躍が始まります。それは今迄の町衆文化の発見と新しい美意識の吸収に依ります。
俳句は芭蕉の高弟で洒落風の元祖の宝井其角(たからいきかく 1661-1707)に心酔、狂歌は大田南畝
(おおたなんぽ 1749-1823)と交際、美人画は浮世絵歌川派の祖の豊春に学ぶという具合にいずれを
とっても一流揃いです。この後上記の通り抱一は光琳に惹かれますが、若い時に体験した江戸の
町民文化と京の町衆文化が混ざり合い新しい琳派を生み出していきます。また僧侶への転身も、
抱一に自由を与え、先に述べた通り光琳の法要を行うような妙案も出て来ます。しかしその時の
抱一は当面周囲の変化に流されるままで、まだ未来を知る由もなかったでしょう。

雅(みやび)な京風を受け継ぎ、江戸の俳諧の詩情を反映する江戸琳派
 抱一に始まる新しい琳派、または抱一に代表される江戸琳派とはどのようなものかといえば、
広義では江戸時代後期に琳派様式で描かれた作品を指しますが、厳密には雅な京風の光琳の世界
を受け継いだ抱一が、そこに江戸の文化人らしい俳諧の詩情を持ち込んだ絵画だと小林忠先生は
定めています。江戸琳派の名称も、東京国立博物館創立百周年記念展「琳派」開催時 (1972) に、
展示の流れの掉尾を任された小林先生が、抱一や其一の作品を集めた展示室のテーマとした時に
始まり、抱一と江戸琳派の発見は、先生をはじめ研究者達のこの半世紀の研究の成果なのです。
今回取り上げた2作品は宗達以来の琳派の特徴の二曲一隻屏風です。二曲一隻の屏風図を見たら、
琳派と思えと言う助言も書かれておられます(もちろん一般的な形式の六曲屏風図もあります)。

『柿図屏風』(1816年)紙本著色 143.7 × 143.8 cm
 江戸文化を代表する俳諧は芭蕉が確立した侘び寂びの美学ですが、それは既に禅宗の影響下の
室町時代の武家文化の建築や作庭に登場します。武士も町人も楽しめる俳句で身分の隔たりなく
共有したのが江戸時代です。秋は芭蕉の弟子でない我々も侘しいや寂しいという感傷を実感する
季節です。抱一の柿は周囲に何もなく枝葉も実も僅かで寂しく、大きな空間は冬へと向かう大気
を感じる日本の風景なのですが、米国のアンドリュー・ワイエス(1917-2009)の風景画や英国の
アーサー・ラッカム(1867-1939)の挿絵にも日本の侘しさに近い感性がありますから、日本だけ
の美意識とは言い切れず、欧米人とも共有できる魅力に違いありません。かつては山村や里山へ
行けば、人の気配がない庭先にも柿の木が見えました。春夏は周囲の茂る葉に紛れる柿の木も、
秋になれば赤く色付く実が存在感を増し、明治の正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を
思い出します。しかし平安時代は食物を歌に詠むことはなく、江戸時代の俳句に柿は現れます。
柿の木を一本描いて秋の景とする抱一の感性に、初期の琳派と明治以降の美術を繋ぐ江戸琳派の
近代性があり、この絵も背景に金箔を使わず慎ましく渋好みで、どことなくモダンです。
柿の木は果実の食用の他、柿の葉茶の飲用や柿渋の防腐剤にもなるので農家で重宝されました。
「里(さと)古(ふ)りて 柿の木もたぬ 家もなし」芭蕉(1644-1694)
また最近「日本伝統工芸展」を鑑賞した折には、「黒柿」の木工芸品の美しさを堪能しました。
調べると樹種に「黒柿」があるのではなく伐採後1万本に1本程度白い木肌の中心が黒い「黒柿」
が見つかる偶然による自然の産物で、乾燥や保管に材木専門店の腕が問われる材だそうです。

『秋草鶉(ウズラ)図屏風』(1817年以前)紙本金地著色 重要美術品 144.5×143.7cm
 月が出る秋草の芒(ススキ)や女郎花(オミナエシ)の原に数羽の鶉がいるこの絵は、前の『柿図』
とほぼ同時期に描かれましたが、何も無い空間に枝が捻じ曲がる柿の木と対照的に、金箔を背景
に芒も月も鶉も曲線主体の優雅な絵です。鶉は雉(キジ)の仲間で室町時代から武家の間で趣味に
飼われ始め、江戸時代は町衆も豪華な鳥籠を作るほど可愛がり、品評会が開かれていた鳥です。
背景の檸檬のような黒い形は満月前の十三夜です。銀箔で表現された月が、長い間に酸化し黒く
変色しています。野分の野草を描いた東京国立博物館蔵の重要文化財の『夏秋草図屏風』も有名
ですが、画題に夏を含むので、今月の十三夜の月見に合わせこちらの絵を取り上げた次第です。

 雅楽頭酒井家で古典を学んだ抱一は、秋草を描きながら鶉の和歌を思い出したのでしょうか。
「野とならば 鶉となりて鳴きをらむ かりにだにやは 君は来ざらむ」伊勢物語
平安時代のある男(在原業平)を中心とした伊勢物語は、源氏物語共々昔から定番の画題なので、
光琳も北斎の師・勝川春章も描き、都人(みやこびと)ならずとも江戸でよく知られた物語でした。
「百二十三 時を経て」と題された中に登場するこの歌は、山城の国の深草の里(京都市伏見区北部)
に住む女の家に通う男(業平)が退屈紛れに、「年を経て 住みこし里を出でていなば いとど深草
野とやなりなむ」(長く住んだ里を出て行ったら深草の里はいっそう荒れ野となるだろうか)と詠むと、女は
野となれば私は鶉となり鳴いているでしょう、あなたは狩りだけでも来られるのでしょうかと、
上の歌を返したところ男は心動かされたという古文の教科書でお馴染みの一節です。寂しい秋草
に鶉を描き添える雅な趣味は、抱一が持ち合わせる琳派の継承者に相応しいもう一つの顔です。

 ところで秋は古代中国から渡って来た十五夜の月見をしますが、日本人はこれから満ちて来る
十三夜も月見をしました。完全でない形に美を見出すのも侘び寂びの心で日本固有の月見です。
抱一が傾倒した宝井其角には十三夜を取り上げた句が多く、中でも次の句がよく紹介されます。
「ねられねば雨 元政の十三夜」其角
寝られないうちに雨では十三夜に意味がなく、十三夜に元政を思うも一句も練られぬうちに雨が
降って来たとする意味でしょう。元政(げんせい 1623-1668)は江戸時代初めの人で、和歌と漢詩に
優れ書物を多く著し、深草の里に寺を開き深草の上人と慕われました。其角の句に心酔した抱一
も当然この句を承知し、また僧となり元政を知らぬ筈もなく、十三夜の月を元政の深草の里との
つながりで伊勢物語の鶉と組み合わせたかなどと想像も広がり、秋の夜は更けて行きます。
「なほふかく 見てこそやまめ 山里の さびしさあかぬ 秋の夜の月」元政(草山和歌集)
旧暦九月十三日の十三夜の月見は、新暦では毎年変わり今年は10月27日だそうです。

*参考文献/酒井抱一展開催実行委員会企画・編集『酒井抱一と江戸琳派の全貌』(求龍堂2017第四刷)
/小林忠(岡田美術館館長)著『教えてコバチュウ先生!琳派超入門』(小学館2020初版)他
*スペースの関係で図例の一部を割愛しましたが、有名な画家ですのでインターネットで検索するとご覧になれます。
*括弧に入れた漢字の読み仮名は原則ひらがな表記にし、学問上カタカナ表記される植物名等はカタカナとしました。
*多くの著書から学び引用させて頂いたため、小林忠先生と敬称を記しました。

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森の駅推進協議会は、日本の森林産業停滞の解決へ向け、森の駅発と称して、
下記の活動を行っています。ご参照の上お役立て下さい。

1「市民フォーラム」開催:
日本の森と日本の森が産み育てる国産木材、それを活かす健康な住環境をはじめ、
生活者の目線で市民の皆様の理解をすすめる講演会を広範囲な視点から企画開催。
内容や開催日など当メルマガ(下記3)でお知らせします。

2「健康住宅/森の駅発」の活動:
日本の森を元気にする!住む人を元気にする!住まいづくりのため集まった
プロ集団が「森に愛される家」を普及します。イベント情報もお届けします。
https://moriniaisareruie.jimdofree.com/

3「メールマガジン/「森の駅発」メルマガ」発行:
フォーラムや研究会のお知らせを、原則として毎月1回発行しています。
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