(東日本と西日本の文化が違うのは、森の種類が異なるから)
日本の植物の分布は、琉球列島から屋久島にかけての亜熱帯多雨林、九州四国から本州の丘陵帯(低地帯)の照葉樹林(常緑広葉樹)、本州の亜高山帯から東北地方に分布する落葉広葉樹林、本州や東北の高山帯、亜高山帯から北海道にかけて分布する針葉樹林に分けられます。
このうち、広範囲に分布するのが、照葉樹林と落葉広葉樹林です。大雑把に分けると東日本を代表する自然林は落葉広葉樹林、西日本を代表する自然林は照葉樹林です。
植生分布とまるで重なるように、日本の文化は、東日本と西日本に大別されます。佐々木高明氏の著書「日本文化の基層を探る」によれば、その違いは先史時代から見られ、たとえば、1万3千年前頃、東日本に広がっていたのは細石刃文化。西日本で広がっていたのは半円錐型石核の石器文化でした。
また、縄文時代晩期の土器の分布も、東日本の亀岡式土器と西日本の突帯文土器に大きく分けられます。縄文文化が圧倒的に栄えたのは東日本であり、弥生文化は、西から栄え東へ向かっていきました。
縄文時代の人口の8割は、東日本に分布し、それは植生に原因があったと佐々木氏は述べています。照葉樹林帯の木の実に比べて資質に富むクルミ・クリ・トチ・ナラの実などの主要食糧は、圧倒的にナラ林帯(落葉広葉樹林)に多かったことや、東日本の河川にはサケやマスが遡ってくることなどが大きな理由として考えられるのです。
一方、西日本では照葉樹林文化が栄え、カシの実をさらしたり、クズやヤマノイモ、彼岸花、サトイモなどの野生のイモ類を掘って水でさらし、でんぷんを濃縮し利用するなどの工夫が見られていました。やがて、稲作がいくつかのルートで日本に入ってくるようになると、特に照葉樹林文化の上に再形成された弥生文化が西日本から東日本に向かって栄えていくようになりました。
今でも、東と西の文化の違いは、方言や習慣、味覚の好みなどにまで見られますが、その違いは、遡っていくと森にたどり着くようです。このことからも、日本の文化は森によって作られるということが言えるように思います。