木材自給率はたったの2割

燃料革命と同時期の昭和30年代、木材の需要を賄うべく、木材輸入の自由化が段階的にスタートし、昭和39年に木材輸入は全面自由化となりました。国産材の価格が高騰する一方で外材(外国産の木材)の輸入が本格的に始まったのです。 

外材は国産材と比べて安く、かつ大量のロットで安定的に供給(一度にまとまった量を)供給できるというメリットがあるため、需要が高まり、輸入量が年々増大していきました。しかも、昭和50年代には、変動相場制になり、1ドル=360円の時代は終わりました。その後、円高が進み、海外の製品がますます入手しやすくなったのです。

これらの影響で、昭和55年頃をピークに国産材の価格は落ち続け、日本の林業経営は苦しくなっていきました。昭和30年には木材の自給率が9割以上であったものが、平成20年には24%となっています(但し全体の約35%を占める製材用材では自給率が41%に回復しています)。 

一方、国内の拡大造林政策は見直されることなく続けられていました。平成8年にようやく終止符が打たれましたが、木材輸入の自由化、そして外材需要の増大の影響で、膨大な人工林と借金が残りました。

国産材の価格の低迷により、間伐を中心とした保育作業や伐採・搬出等に掛かる費用も回収できず、林業はすっかり衰退してしまいました。間伐をはじめとする森林の整備(手入れ)を行ったり、主伐(収穫のための伐採)を行っても採算がとれず、赤字になってしまうのです。

また不在地主の増加により、間伐などの手入れが全く行われていない森林が増えていることも大きな要因です。手入れが行われなければ、木は育たず、国産材として活用されることはありません。

林業経営者の意欲は低下し、若者は都市部へ雇用を求めるようになりました。  
また、林業以外に目立った産業のない山村地域では、林業の衰退とともに、地域の活力も低下し、林業離れによる後継者不足、林業就業者の高齢化、山村問題、限界集落と呼ばれる問題まで起こっています。

木材資源が豊富で、年間100万立方メートルの木材を使う大消費地の富山県では何と90%以上が外材でまかなわれ、県産材のシェアは5%を切るといった状況です。林業作業者は1965年の1450人から2005年には163人にまで減っています。取引された木材の価格は4億円程度に達しないという有様で、全国でワースト6位といった状況です。ところが2003年で富山県の林道事業には62億円も使われているのです。森林が単に公共事業の対象となっている現実が見えてきます。